RED ROSE
彼女と彼の想い


 綺麗に折り畳まれた作業服に掌を当て、美玲はふっと息を吐き出した。

 ――朝比奈さんの匂いがする。

 あの後、渋る美玲にベッドを提供した大翔は寝袋で夜を明かし、朝早く、静かに仕事に出て行った。物音に気付いた美玲が慌てて起き上がり、朝食の準備をしようとしたが、大翔は穏やかに笑みを残し、「コンビニで買うから」と、部屋を出て行ってしまった。

 何年ぶりだろう。さほど広くない部屋を見渡し、レースのカーテン越しに朝陽を見つめながら、美玲はそっと、作業服に頬を寄せ、目を閉じた。

 ――ぐっすり眠れた……。

 はじめは戸惑いと緊張で、電気を消されてもなかなか瞼が下りなかったが、やがて苦痛から解放された安堵感で、深い眠りに落ちた。

 ――もう、あの家に帰らなくていいって……やっぱり嬉しい。

 幾度となく受けてきた、実の父親からの性的暴行。頼みの母親は知っているのに助けてくれない。口答えすれば殴られ、その恐怖が母親を制している事を頭では理解できていたが、やっぱり、納得はできなかった。

 ――ずっと逃げたかった。けど、行く場所がなかった……。

 児童相談所等の公的機関に駆け込もうと何度も考えたが、暴行の内容を訊ねられるのが嫌で、結局できなかった。汚されてゆく身体に、何度涙を流したか、もう判らない。

『美玲ちゃん!』

 不意に、大翔に初めて下の名前で呼ばれた事を思い出し、美玲は閉じていた目を開いた。

 ――“大翔”さん……。

 心の中だけで大翔の名を呼んでみる。

 いつか、そう呼べたらいいな……。淡い期待に頬が熱くなるのを感じ、彼女は慌てて起き上がり、頬に手を当てた。

 ――ついつい甘えちゃったけど……。

 そのままの格好で時計に目をやる。登校時間が近付いているのに気付き、美玲は立ち上がった。急いでパジャマ代わりにと大翔から借りた服を脱ぎ、着てきた制服と、借りたシャツを身に付ける。着替えを済ませた美玲はローファーに足を入れると、貸してもらった合鍵を手に、部屋を出て行った。




 その頃大翔は、出勤途中に寄ったコンビニで購入した住宅情報雑誌に目を通していた。

 ――家賃が上がるのは仕方ないよな。今のアパートで二人は無理だし。

 小さくため息をつきながら情報誌を閉じ、デイバッグに押し込む。

 俺が守らなきゃ。少し遠い目で、大翔は思った。美玲をあのままにはしておけない。

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