beautiful love ★ 俺様boyと天然girl
俺もそのまま帰ろうとした。

その時だった。

「玲奈」

低い男の声が聞こえた。

木南の足が止まる。

少し先の住宅地の角から、男がこっちへ歩いてくる。

その姿を見た瞬間、木南の体が強張った。

「どこ行ってた」

「…………」

「今日、行かなかったらしいな」

「……ごめんなさい」

「ごめんなさいじゃねぇだろ」

男が木南の前まで来る。

その目が俺に向いた。

「誰だ、こいつ」

「学校の友達」

木南が答える。

「こんな時間まで男と遊んでたのか?」

「違う」

「じゃあ何してたんだよ」

「…………」

「仕事にも行かねぇで、連絡も無視して」

仕事?

何の話だ。

木南を見る。

でも木南は俯いたまま、何も言わない。

「何とか言えよ」

「……ごめんなさい」

「それしか言えねぇのかよ」

男の声が荒くなる。

木南が1歩、後ろに下がった。

その顔を見て、何となく分かった。

こいつ。

怖がってる。

「ふざけんなよ」

男が腕を振り上げる。

木南が目を閉じた。

「おい!」

考えるより先に体が動いていた。

木南の前に入って、振り下ろされかけた男の腕を掴む。

「何してんだよ」

男が俺を睨む。

「離せ」

「殴ろうとしただろ」

「お前には関係ねぇ」

「関係あるとかじゃねぇだろ」

「ガキが口出すな」

「だったら殴ろうとすんなよ」

「離せっつってんだろ」

男が俺の手を強く振り払う。

「お前には関係ねぇんだよ!」

次の瞬間。

「っ……!」

頬に強い衝撃が走った。

視界が一瞬揺れる。

体が横によろけて、口の中に鉄っぽい味が広がった。

「早手!」

木南の声が響く。

「……っ、てぇ……」

頬が一気に熱くなる。

マジかよ。

普通、高校生殴るかよ。

俺が睨んでも、男は悪びれる様子すらない。

それどころか、まだ苛立った顔でこっちを見ている。

「ガキが余計なことすっからだろ」

「は?」

腹の底から一気に頭に血が上る。

「てめぇ――」

一歩前に出ようとした、その時。

「早手!」

木南が俺の腕を掴んだ。

「行こ」

「は?」

「早く!」

「でもこいつ――」

「いいから!」

強く腕を引かれる。

「玲奈」

後ろから男の低い声が聞こえた。

その瞬間、木南の顔色が変わる。

俺の腕を掴む手に、さらに力が入った。

「早手、走って」

「え?」

「早く!」

木南が走り出す。

引っ張られるまま、俺も走る。

「玲奈! 待て!」

後ろから怒鳴り声が飛んでくる。

木南は振り返らない。

俺の腕を掴んだまま、ただ必死に走っている。

「木南!」

「止まらないで!」

その声が震えていた。

俺はそれ以上何も言わず、木南と一緒に走った。

住宅地を抜けて、角を何度か曲がる。

後ろから声が聞こえなくなっても、木南はしばらく足を止めなかった。

ようやくたどり着いたのは、小さな公園だった。

こんな時間だから、誰もいない。

街灯の下まで来て、木南がやっと俺の腕を離した。

「はぁ……っ、はぁ……」

肩で息をしながら、何度も後ろを確認している。

「……もう来てねぇよ」

「…………」

木南がゆっくり頷く。

俺も息を整えながら、殴られた頬に触れた。

「……いって」

思ったより痛ぇ。

「…………ごめん」

木南が小さく言った。

「何が」

「早手まで……殴られて」

「別に」

「でも……」

「お前が謝ることじゃねぇだろ」

「…………」

木南が俯く。

俺はさっき男が出てきた方向を見る。

もう追ってくる気配はない。

「……あの男、誰?」

木南の肩が小さく揺れた。

少し黙ってから、口を開く。

「……私の、本当のお父さんじゃないの」

「…………」

「お母さんと一緒にいる人」

「……そう」

少しの沈黙。

「……仕事って何?」

「…………」

木南が黙る。

しばらくして。

「……夜の仕事」

小さな声が返ってきた。

「普通のバイトじゃない」

「…………」

木南は俯いたまま、自分の手を見ている。

「私、高校生だってことも……違うことにされてるの」

「……は?」

思わず木南を見る。

「年齢、違うことにされてて……あの人が勝手に話をつけた」

「…………」

何だよ、それ。

「今日、行かなかったから怒ってた」

木南の声が震える。

「行きたくないんだ」

「…………」

「本当は、ずっと行きたくない」

俺は何も言わずに聞いていた。

「でも、行かなかったら怒られるし……家に帰っても怒られるし、どうしたらいいのか分かんなくて」

木南の目から涙が落ちる。

「だから学校に残ったり、外で時間潰したりしてるの」

「…………」

「今日も途中までは学校にいたんだけど、そのあと出て……ずっと時間潰してた」

放課後のことを思い出す。

『私は、まだ残るかなぁ……』

あれは、帰りたくなかったからか。

「帰らなきゃって思って、バス停まで行ったんだけどね」

木南が涙を拭う。

「家に帰るって思ったら、怖くなって……」

「…………」

「バス、乗れなかった」

だから、あんな時間にあそこにいたのか。

「……ごめんね」

「何で謝んの」

「だって、こんな話」

「別に」

「…………」

木南は少し黙ってから、また口を開いた。

「今日みたいなのも……初めてじゃない」

「…………」

やっぱり。

男が腕を振り上げた時、木南は避けようとしなかった。

ただ目を閉じていた。

「最初はあんな感じじゃなかったんだけど、だんだん怒ることが増えて……気に入らないことがあると、すぐ怒鳴るようになって」

木南が自分の腕を抱く。

「私も、どうしたらいいか分かんなくなって」

少しだけ間が空く。

「……私ね」

「ん」

「しんどくなると……自分のこと傷つけちゃう時もあるの」

「…………」

何も言えなかった。

こんなことを言われた経験なんかないし、何て言えばいいのかも分からない。

簡単に大丈夫なんて言える話じゃないことくらいは分かる。

それでも。

「……自分傷つけんのは、もうやめろ」

木南が俺を見る。

「…………」

「お前が悪いわけじゃねぇだろ」

「…………」

「なのに、自分まで自分のこと傷つけてどうすんだよ」

「早手……」

「俺、こういう時何言えばいいか分かんねぇけど」

本当に分からない。

何とかしてやるなんて、簡単に言えることでもない。

だから、今の俺に言えることだけ言った。

「……もうやめろ」

木南はしばらく俺を見ていた。

それから。

「…………うん」

泣きながら、小さく頷いた。

それからしばらく、木南は何も言わなかった。

俺も何を言えばいいのか分からなくて、黙ったまま前を見ていた。

「……早手」

「ん?」

「今日のこと」

木南が膝の上で手を握る。

「誰にも言わないでほしい」

「…………」

「お願い」

「……何で」

「知られたくないから」

木南は俯いたまま、小さく息を吐いた。

「学校では、普通にしてたいの」

「…………」

「変な目で見られたくないし、かわいそうって思われるのも嫌」

「……そう」

「だから、お願い」

俺はすぐには返事をしなかった。

今日みたいなことがあるのに、本当に黙ってていいのかなんて俺には分からない。

でも、木南が誰にも知られたくないと思ってることまで、勝手に話すのも違う気がした。

「……分かった」

そう答えると、木南がゆっくり顔を上げた。

「本当に?」

「ん」

「…………ありがとう」

また泣きそうな顔で笑う。

「こんなこと、誰かに話したの初めて」

「…………」

「早手になら、話してもいいかなって思った」

「……そ」

何て返せばいいのか分からなくて、それだけ答えた。

しばらくして、木南が立ち上がる。

「……そろそろ帰る」

「大丈夫なの」

「うん」

「…………」

全然、大丈夫そうには見えない。

それでも木南は、いつものように笑おうとしていた。

「もう平気」

「…………」

またそれか。

教室で泣いていた時も、こいつは何でもないみたいな顔をしていた。

「木南」

「ん?」

「……無理して平気なふりすんの、やめれば」

木南が目を瞬く。

「え……」

「別に、泣きたいなら泣けばいいだろ」

「…………」

「あと」

少しだけ言葉を止める。

「お前が悪いわけじゃねぇんだから」

木南が俺を見る。

「そこだけは、勘違いすんなよ」

「…………」

木南は何も言わなかった。

ただ、さっきまで我慢していた涙が、また頬を伝った。

「……早手って」

「何」

「優しいね」

「は?」

「ふふ」

「……意味分かんねぇ」

木南が涙を拭いながら、少しだけ笑う。

今度はさっきより、ちゃんと笑っているように見えた。

「今日はありがとう」

「ん」

「じゃあ、また明日」

「……また明日」

木南が歩いていく。

その後ろ姿が見えなくなってから、俺も公園を出た。

ポケットからスマホを取り出す。

画面をつけて。

「…………あ」

22時を過ぎていた。

水乃からメッセージが来ている。

『まだ帰ってない?』

『大丈夫?』

その下には、着信まで残っていた。

「……やべ」

帰ったら連絡するって約束してた。

すぐに水乃の名前を押した。
< 222 / 394 >

この作品をシェア

pagetop