徒花のリーベスリート
 手続きを済ませた書類は、いったん彼の父親が預かる事になった。
 後日、私の父と共に王宮に届けを出すのだそうだ。
 仮初の契約だったとはいえ、貴族同士の婚約は面倒だなと改めて思う。
 婚約程度でこれなのだ、一歩踏み込んだ結婚になったらさぞかし……いや、考えるのはやめておこう。
 二十歳過ぎればいきおくれと後ろ指を指されるこのご時世で、二十二になった私にはもう、関係の無い話だ。
 今やるべき事は他にあるのだから、尚更。

 彼と私の婚約関係はこれで終わってしまうけれど、縁が完全に切れるわけではない。
 身を引く決意をしたのだから、本来ならとことん距離を取った方が良いのかもしれないが、私の場合は立場的に許されないだろう。
 私は、姫巫女の教育係なのだから。
 私がその地位に居続ける限り、彼女を見守る義務が課せられている。
 そして彼は、同じ姫巫女を護衛する騎士の一人なのだ。
 どんなに嫌でも毎日の様に顔を合わせるだろう。
 一番近くて遠い場所。そこで私はこれから何を見、何を感じるのか、想像もつかない。
 でも、これでいいのよ。
 きっと、私に縛られ続けて苦しむ彼を見るほうが、何十倍も辛い。
 彼から別れを切り出される方が、何千倍も悲しい。
 そうなる前に。
 後悔はしないと決めた。



 婚約解消の儀を終えて、双方の関係者が疎らに席を立つ。
 いつしか部屋には誰も居なくなり、私と彼が二人きりになっていた。
 彼はどこかほっとした様な顔をしている。
 この部屋には鏡が無いからわからないけれど、もしかしたら私も似た様な顔をしているのかもしれない。

「……ごめんなさい、無理をさせてしまったわね」

 気遣いながら声をかけると、彼は首を振った。

「君のほうこそ。長い間すまなかった」

 ……すまなかった、ですって?
 心外だわ、と眉を吊り上げる。
 だってそれは、私の台詞だ。
 婚約解消は何時だってできたのに、一方的に好意を寄せて、彼がいつか自分に振り向いてくれると盲信して、この歳になるまで縛り続けたのは他ならぬ私。
 本当に謝らなければいけないのは、私だ。
 そう思っているのに、

「気にする事は無くてよ。お互い様でしょう?」

 気付けば高飛車に言い放っていた。
 嗚呼。紅薔薇だなんてとんでもない。どうやらまた思い上がっていたらしい。
 私は(こころ)を荒らすしか能の無い茨だったのだ。
 あれだけ取り除こうと頑張っていた棘も、あっという間に、にょきにょき元通り。

「これで晴れて自由の身。清々すると思えばいいのだわ」

 頭の中では慎ましく微笑みたいと思うのに、実際に口元を彩るのは皮肉気に歪んだ曇天の笑み。
 あの娘の様にふんわり優しく輝く、日向の様な笑顔の作り方なんて、私は知らない。
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