掌編小説集
736.エンゼルランプの水系
就業後の飲み会で居酒屋を出ても二次会に行こうか行かまいかとくっちゃべって、上司におごらせようとしている先輩達を冷ややかに一瞥してから直属の先輩に目を向ける。
「先輩、何しているんですか?いきま・・・あっ。」
後輩に話し掛けられたことすら気付かないまま立ち尽くして、彼は向かいの歩道で彼女が見知らぬ男性に抱き締められている場面に釘付けになっていた。
彼女は彼のお気に入りのカフェのバリスタだ。
その帯の着付けは着心地良く調薬‐フィッティング‐されて、人間ドラマのオイルも童歌(わらべうた)のクリームになって、マイワールドに浸れるのにオープンセットにもクローズドセットにもなってくれる。
後輩が異動してくるまで階級も年齢も一番下っ端だったので、配属初日にコーヒー係に任命された。
最初は嫌々やっていたものの彼女の店を見付けてからというもの、コーヒーブレイクの必要性を力説し、古くなっていたというのもあるけれどコーヒーマシンを新調するまでに至る。
ウェルダンからミディアムを経ずにレアになった彼の変わりように、一体全体どうしたことだろうかと思っていた先輩達は、彼女が事件の参考人として浮上した時に事の次第を理解した。
捜査を進めていけば結局のところ、彼女はバイトで入っていたその人に頼まれて中身が何かも知らずに、待ち合わせた人物に封筒を渡していたにすぎなかった。
店長を介して無断欠勤しているその人の現住所を教えてもらって事件を解決できた縁で、そこから彼の先輩達もプライベートでも贔屓にしている。
後輩に至っては下の名前で呼んでくださいとまで言って人懐っこさ全開で、彼は自分もまだ呼んでもらっていないのにと僻んでいるけれど、下の名前で呼ばれるのを嫌っていると先輩達から聞いているせいだ。
まあ先輩達がからかいついでに下の名前で呼ぶのを止めないから、余計に意固地になっている部分もあるけれど。
後輩が異動してきた時は時代が変わったとかでコーヒー係以外の雑用も拒否されたけれど、彼にとってはコーヒー係を死守できたからか、雑用が自分のままでもそれでよかったらしい。
彼が彼女と付き合うようになったのは後輩が異動してくる前だ。
看板バリスタと常連のお客から参考人と刑事という関係をほんの数時間だけ挟み、休みの日も会うようになったら応援半分にお節介半分で先輩達がけしかけるものだから。
付き合うようになったと言った時の先輩達のニヤニヤ顔を、彼は一生忘れられないだろう。
先輩達の軽口も後輩の茶目っ気も本気で彼女を狙っているとかではないから、彼はグチグチ言うだけで言動を止めようとはしない。
しかし昨日目撃した光景は到底間違いとは言えなくて、意気消沈の彼を慰める先輩達ととどめを刺しにくる後輩にチョップをかます上司。
そんな中でも帯の収録のように事件は待ってはくれなくて、遺体で見付かったのは彼女を抱き締めていた男性であり、その職業はとある省庁の官僚だった。
彼が先輩と彼女に話を聞きに行くとその官僚は高校の同級生で、偶然会ったから少し食事をして別れただけ、抱き締められているように見えたのも酔ってふらついたのを支えただけ。
内部進学的には何も知らないし外部受験的には何も無かったと答える彼女は、以前の時と違って何かを飲み込んでいるような気がしたけれども、今はこれ以上聞き出せないと一旦持ち帰ることにした。
先輩が帰路に就いていると女性の声が聞こえてきて駆け付けてみれば、彼女が何者かに襲われている場面で、威嚇するように声を掛ければ何者かは逃走してしまったけれど、怪我をしている彼女を優先して大丈夫と言われても念のために病院へと付き添う。
治療を終えて間もないけれども彼女に話を聞こうとすると、治療中に連絡を入れた彼が待合スペースに飛び込んできて、怪我の程度の心配と大事でなかった安堵とが入り混じってはいるけれども、すぐさま逃走者を捕まえようと飛び出さないことに先輩は彼の成長を感じていた。
けれど彼女は彼の顔を見た途端に強引に帰ろうとして、送っていくという彼をタクシーで帰りますからと強固に一蹴するものだから、彼をなだめながら言い聞かせて先輩が送ることになった。
「彼は貴女を心配しているだけですから。それだけは分かってあげてくださいね。」
活劇のあらすじをあれこれ聞きたいのだろうけれど断続的にも聞かずに、彼の成型‐エンパシー‐だけを伝える先輩の居住まいに、起案をポストしたいけれども錬丹術の妙案は浮かばずにいた。
ノンフライでもアクリルアミドが取っ組み合いなら傍聴人では居続けることができないと感じ、先輩にならば話せるかもしれないと思案して訪ねれば、正面玄関で彼の上司と行き合わせてそのまま部署まで案内してもらう。
しかし部屋に入って彼が目に入るやいなや、やっぱり帰りますと踵を返そうとした彼女に、先輩はそのラストシーンの到達点を知ろうと静かに語りかける。
「何に怯えているのですか?何を知っているのですか?それとも何かを隠そうとしているのですか?貴女は何か話そうとしていると見受けられるのに、昨日も今も彼の顔を見て躊躇っている。」
持っているのは昨日までのハンドバッグではなくショルダーバッグであり、ストラップの付け根のところを握っている手には力が入っていて小刻みに震えている。
「僕は貴女の入れるコーヒーが好きです。でも今は入れることもその準備さえもすることが出来ない。物凄く憎いです、貴女に怪我をさせた奴が。」
藁焼きのような激しい怒り漬けの言葉とは裏腹に、彼はパンクしそうな震えごと受け止めるように彼女の手を包み込む。
「僕は刑事だから。貴女に怪我をさせた奴も官僚を殺害した犯人も逮捕しなければならないんです。貴女を含めた皆が安心して安全に過ごせるように。何か知っているならお願いします、教えてください。」
自分と再会した後に官僚が殺されてしまって、もし話したら官僚みたいに彼も殺されてしまうのかもしれないと思ったら、何も話せなくなってしまったと。
ただ官僚と単なる高校の同級生の関係であると思わなかったのは、彼達だけではなく犯人側もだったからこそ、官僚から何か受け取っていると思われて襲われたと考えるのが自然で。
彼女自身を襲ったというよりハンドバッグを奪い取ろうとしていたように見えて、先輩が違和感を覚えていたことも要因の一つだ。
官僚が集めた証拠はクラウドに、彼女が託されたのはパスワードだった。
「貴女を襲った人物の人着を緊急手配していますが、まだ発見されたという報告は入っていません。犯人側は記憶媒体でないこともクラウドストレージであるということも知らないようですから、手に入れようとして貴女を再び襲う可能性は高いです。」
完成披露‐オープンデッキ‐に雨脚を強めて捜査をするにしても、殿様商売で雨脚を弱めてパンクに整形とか命からがらというわけにはいかない。
「警護は万全を期すためにも24時間張り付くことになります。大変鬱陶しく感じると思いますが、ご理解いただけると助かります。」
「僕の仲間達はとても頼りになりますし強者揃い(つわものぞろい)ですから、何も心配いりませんよ。」
「ありがとうございます。凄く心強いです。」
まだ怖さのすべてを払拭できなくても、彼の自慢の仲間達だからこそ、彼女の強張っていた表情も身体もようやく和らいでいった。
「先輩、何しているんですか?いきま・・・あっ。」
後輩に話し掛けられたことすら気付かないまま立ち尽くして、彼は向かいの歩道で彼女が見知らぬ男性に抱き締められている場面に釘付けになっていた。
彼女は彼のお気に入りのカフェのバリスタだ。
その帯の着付けは着心地良く調薬‐フィッティング‐されて、人間ドラマのオイルも童歌(わらべうた)のクリームになって、マイワールドに浸れるのにオープンセットにもクローズドセットにもなってくれる。
後輩が異動してくるまで階級も年齢も一番下っ端だったので、配属初日にコーヒー係に任命された。
最初は嫌々やっていたものの彼女の店を見付けてからというもの、コーヒーブレイクの必要性を力説し、古くなっていたというのもあるけれどコーヒーマシンを新調するまでに至る。
ウェルダンからミディアムを経ずにレアになった彼の変わりように、一体全体どうしたことだろうかと思っていた先輩達は、彼女が事件の参考人として浮上した時に事の次第を理解した。
捜査を進めていけば結局のところ、彼女はバイトで入っていたその人に頼まれて中身が何かも知らずに、待ち合わせた人物に封筒を渡していたにすぎなかった。
店長を介して無断欠勤しているその人の現住所を教えてもらって事件を解決できた縁で、そこから彼の先輩達もプライベートでも贔屓にしている。
後輩に至っては下の名前で呼んでくださいとまで言って人懐っこさ全開で、彼は自分もまだ呼んでもらっていないのにと僻んでいるけれど、下の名前で呼ばれるのを嫌っていると先輩達から聞いているせいだ。
まあ先輩達がからかいついでに下の名前で呼ぶのを止めないから、余計に意固地になっている部分もあるけれど。
後輩が異動してきた時は時代が変わったとかでコーヒー係以外の雑用も拒否されたけれど、彼にとってはコーヒー係を死守できたからか、雑用が自分のままでもそれでよかったらしい。
彼が彼女と付き合うようになったのは後輩が異動してくる前だ。
看板バリスタと常連のお客から参考人と刑事という関係をほんの数時間だけ挟み、休みの日も会うようになったら応援半分にお節介半分で先輩達がけしかけるものだから。
付き合うようになったと言った時の先輩達のニヤニヤ顔を、彼は一生忘れられないだろう。
先輩達の軽口も後輩の茶目っ気も本気で彼女を狙っているとかではないから、彼はグチグチ言うだけで言動を止めようとはしない。
しかし昨日目撃した光景は到底間違いとは言えなくて、意気消沈の彼を慰める先輩達ととどめを刺しにくる後輩にチョップをかます上司。
そんな中でも帯の収録のように事件は待ってはくれなくて、遺体で見付かったのは彼女を抱き締めていた男性であり、その職業はとある省庁の官僚だった。
彼が先輩と彼女に話を聞きに行くとその官僚は高校の同級生で、偶然会ったから少し食事をして別れただけ、抱き締められているように見えたのも酔ってふらついたのを支えただけ。
内部進学的には何も知らないし外部受験的には何も無かったと答える彼女は、以前の時と違って何かを飲み込んでいるような気がしたけれども、今はこれ以上聞き出せないと一旦持ち帰ることにした。
先輩が帰路に就いていると女性の声が聞こえてきて駆け付けてみれば、彼女が何者かに襲われている場面で、威嚇するように声を掛ければ何者かは逃走してしまったけれど、怪我をしている彼女を優先して大丈夫と言われても念のために病院へと付き添う。
治療を終えて間もないけれども彼女に話を聞こうとすると、治療中に連絡を入れた彼が待合スペースに飛び込んできて、怪我の程度の心配と大事でなかった安堵とが入り混じってはいるけれども、すぐさま逃走者を捕まえようと飛び出さないことに先輩は彼の成長を感じていた。
けれど彼女は彼の顔を見た途端に強引に帰ろうとして、送っていくという彼をタクシーで帰りますからと強固に一蹴するものだから、彼をなだめながら言い聞かせて先輩が送ることになった。
「彼は貴女を心配しているだけですから。それだけは分かってあげてくださいね。」
活劇のあらすじをあれこれ聞きたいのだろうけれど断続的にも聞かずに、彼の成型‐エンパシー‐だけを伝える先輩の居住まいに、起案をポストしたいけれども錬丹術の妙案は浮かばずにいた。
ノンフライでもアクリルアミドが取っ組み合いなら傍聴人では居続けることができないと感じ、先輩にならば話せるかもしれないと思案して訪ねれば、正面玄関で彼の上司と行き合わせてそのまま部署まで案内してもらう。
しかし部屋に入って彼が目に入るやいなや、やっぱり帰りますと踵を返そうとした彼女に、先輩はそのラストシーンの到達点を知ろうと静かに語りかける。
「何に怯えているのですか?何を知っているのですか?それとも何かを隠そうとしているのですか?貴女は何か話そうとしていると見受けられるのに、昨日も今も彼の顔を見て躊躇っている。」
持っているのは昨日までのハンドバッグではなくショルダーバッグであり、ストラップの付け根のところを握っている手には力が入っていて小刻みに震えている。
「僕は貴女の入れるコーヒーが好きです。でも今は入れることもその準備さえもすることが出来ない。物凄く憎いです、貴女に怪我をさせた奴が。」
藁焼きのような激しい怒り漬けの言葉とは裏腹に、彼はパンクしそうな震えごと受け止めるように彼女の手を包み込む。
「僕は刑事だから。貴女に怪我をさせた奴も官僚を殺害した犯人も逮捕しなければならないんです。貴女を含めた皆が安心して安全に過ごせるように。何か知っているならお願いします、教えてください。」
自分と再会した後に官僚が殺されてしまって、もし話したら官僚みたいに彼も殺されてしまうのかもしれないと思ったら、何も話せなくなってしまったと。
ただ官僚と単なる高校の同級生の関係であると思わなかったのは、彼達だけではなく犯人側もだったからこそ、官僚から何か受け取っていると思われて襲われたと考えるのが自然で。
彼女自身を襲ったというよりハンドバッグを奪い取ろうとしていたように見えて、先輩が違和感を覚えていたことも要因の一つだ。
官僚が集めた証拠はクラウドに、彼女が託されたのはパスワードだった。
「貴女を襲った人物の人着を緊急手配していますが、まだ発見されたという報告は入っていません。犯人側は記憶媒体でないこともクラウドストレージであるということも知らないようですから、手に入れようとして貴女を再び襲う可能性は高いです。」
完成披露‐オープンデッキ‐に雨脚を強めて捜査をするにしても、殿様商売で雨脚を弱めてパンクに整形とか命からがらというわけにはいかない。
「警護は万全を期すためにも24時間張り付くことになります。大変鬱陶しく感じると思いますが、ご理解いただけると助かります。」
「僕の仲間達はとても頼りになりますし強者揃い(つわものぞろい)ですから、何も心配いりませんよ。」
「ありがとうございます。凄く心強いです。」
まだ怖さのすべてを払拭できなくても、彼の自慢の仲間達だからこそ、彼女の強張っていた表情も身体もようやく和らいでいった。


