上司のヒミツと私のウソ
 後悔とも憐憫ともおもえる心情がまざまざと映り込んだ目を見て、私は心臓の真ん中を刺し貫かれたように強い衝撃を受けた。


 矢神が口を開いた。なにか言おうとしてためらい、また口を閉ざして黙り込んだ。数秒なのか数分なのかも判断できないほど、私は激しくうろたえていた。


 まもなく、矢神はあからさまに顔を歪め、困ったようにうつむいた。私は、それ以上矢神を見ていることができなくなった。気がついたら奥歯を噛みしめて足もとを見ていた。


「ごめん」


 声を聞いた直後に顔を上げた。足早に非常口に向かう矢神の後ろ姿が見えた。矢神は振り返らなかった。静まりかえった屋上に、がしゃんと重い鉄扉の閉まる音が響く。


 私はフェンスにもたれかかり、鞄から化粧ポーチを取り出した。二重ポケットの中には、まだ煙草が入っていた。煙草を取り出し口に咥えた。火をつける。何度か大きく息を吸いこみ、煙を吐いた。


 懐かしいはずなのに、なんの味も匂いもしなかった。ただ体中に煙が行き渡るのを感じ、泣かずにすんだことにほっとしていた。
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