上司のヒミツと私のウソ
 この苦しい場所から解放されたい。気持ちがあふれ出してしまう前に。


 だから、これが最後。

 さっき、あの“終わりの言葉”を口にしたときから、もう心は決まっていた。


 矢神が部屋の灯りをつける。

 あの懐かしい家具がたたずむリビングに入っていく。


 歩きながら、矢神は背広を脱いでソファの上に放り投げ、ネクタイをゆるめる。

 眼鏡をはずしてテーブルの上に置き、片手で髪をくしゃくしゃにかき乱す。そして煙草を咥えて火をつける。

 毎日そうしているみたいな、自然な動作で。


 私はどうしていいかわからなくて、リビングの隅っこに立っていた。

 矢神はまるで私の存在など忘れたかのように、煙草を吸っている。


「あの朝、ここで誰に会った?」

 唐突に、矢神が切り出した。


「誰か来ただろ、ここに」


 私は言葉を探してうつむいた。

 なにも見つからない。

 床を見つめたまま、心臓の音がどんどん大きくなるのを聞いているだけ。
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