とけていく…
 風で、一斉に桜の花びらが中に舞い上がり、眼前がすべて薄紅色に染まっていた。まるで、渦の中にいるようだった。その強い風が、ジャケットのポケットに無理やり突っ込まれていたキャップを飛ばしてしまった。お陰で、彼は見通しの良くないこの場所でキャップと隠れんぼをしなければならないはめになった。

 やがて風は収まり、次第に視界が開けてくる。彼の視線の前方で、足に当たった埃まみれのキャップを拾い上げている少女が立っていた。

「すいません、ありがとうご…」

 彼はすぐに駆け寄り、その相手の顔を見た。その瞬間、言葉に詰まり、目を疑った。次第に鼓動が速くなる。

「由里…?」

 言葉よりも先に、彼は迷わず飛び付いていた。彼女の驚きで揺れる瞳も関係なく、彼は彼女を力一杯抱きしめる。彼女の手から手桶が滑り落ち、乾いた石段にカランカランと打ち付けられながら転がっていく…

 奇跡が起きたのかと思った。
 ずっと逢いたかったひと…
 ずっと想い焦がれていたひと…

「由里、由里、由里、由里…」

 彼は、夢中で由里の名を呼び続けていた。

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