プラスティック・ラブ
レセプションの片づけを終えて部屋へ戻ったところに
来訪を告げるチャイムが鳴った。
時計の針は23時になろうかとしていた。
こんな時間に誰?と身構えながら
覗いたドアスコープの向こうには 
タイを外しドレスシャツの襟元を緩めただけの
成瀬の姿があって、私は驚いて急いでドアを開けた。


「どうしたの?」
「夜分に申し訳ないとは思ったんだが・・・」
「構わないけど、とにかく中へ」


部屋へ招き入れるのもどうかと一瞬戸惑ったけれど
この場を誰かに目撃されるのもよくないと
咄嗟に判断した・・・まではよかった。
でもドアを閉めてから別の意味で私は大いに後悔した。


広くないこの部屋では、どうしても二人の距離が近くなる。
少し動くだけで、その空気の動きさえも感じられて緊張する。
成瀬の泊まっている部屋は広々としているせいか
たとえ二人になった時でも意識せずに居られた。でも今は違う。
ドキドキと早くなり始めた鼓動を抑えるかのように私は胸元に手を当てた。


「これを渡したくて」


差し出されたのは寿司折りらしき包みだった。
立食式のパーティだったレセプションでは、とにかく人に囲まれてばかりで
ほとんど食事らしい食事をすることができなかった成瀬は
会の終了と同時にここを抜け出して梶山くんが招集した昔の部活の仲間と一緒に
彼らの先輩が営んでいる寿司屋で軽く摘んで来たという。
その帰りに半ば押し付けるように土産だと持たされた寿司折りを
おすそ分けに来てくれたのだった。


「言ってくれたらお部屋まで取りに行ったのに」

「部屋へ戻る途中だったから、届けた方が早いと思ってな」


ありがとう、とソレを受けとってしまうと間がもてなくなった。
どうしようかと悩んでいたら「悪いけど水を一杯もらえないだろうか」と
成瀬に言われてほっとした。


私は「うん」と頷いて備え付けの冷蔵庫を開け
ミネラルウォーターのボトルを出して手渡した。
ありがとう、と受け取った成瀬はキャップを開け
一気に半分ほど飲み干した。そして、ふぅと小さく息を吐いた後で
言いかけた彼の言葉はおそらく「じゃあこれで」だっただろう。
それを言わせたくない――—そうとっさに思ってしまった私は声を張った。


「あの! もしよかったら珈琲でもどう?」

「え?」

「あ、えっと、要らないなら遠慮なく断って」

「いや、ありがたい。いただくよ」


引き留めてしまったのは もう少し成瀬と一緒にいたいと思ったのと
訊きたいことがあったからだ。
さっきのレセプションの会場で見かけた雅也と成瀬が
一体何を話していたのか・・・それがどうにも気になっていたのだ。


会場で向かい合う雅也と成瀬の元へと行きかけた私の腕を掴み
「君の行くべきところは他にあるだろう」と
お客様の案内と見送りを命じたのは副支配人の一輝だった。
まるで全てを悟って見透かしているような絶妙のタイミングだった。
立ち入るな、という事なのかもしれない。
だから二人が何を話していたのかを聞いてはいけないのかもしれない。
でも気にならないといえば嘘になる。
それどころか気になって仕方がなくて
雅也に電話をして聞くつもりでいたのだ。
その前にこうして成瀬と話す機会ができてしまった。
訊かない手はない。けれど・・・どうしようか…


「藤崎」

「はい?」


かけられた声が意外なほど近かったのは、成瀬がすぐ後ろに立っていたから。
あれこれ考えていたせいで、彼がすぐ後ろに来ていたことに全く気がつかなかった。



「悔しい・・・」

「え?」

「わかっていたことなのに、実際に目の当たりにするとこんなにも悔しいものだとはな」


「何のこと?」と振り返ろうとしたら
背中から羽交い絞めるように成瀬に抱きしめられた。
突然のことに息が止まるかと思うほど驚いた私は
身動きができなくなってしまった。



「こんな事なら、あの時こうやって君を抱きしめてしまえばよかった・・・
たとえ君に寂しい思いをさせる事になったとしても」



耳元に搾り出したような切ない声と熱い吐息がかかって私はひどく動揺した。
身体に回されている力強い腕がなかったら
膝から力が抜け、床へとしゃがみこんでいたかもしれない。
その腕を振り払うことも抗うことも、早くなる鼓動と呼吸さえも整えられないで
体を硬く強張らせた私に 「藤崎」と囁くように呼びかけた成瀬の声は
それまでの彼からは聞いたことのない甘やかさを孕んでいた。


「今度は俺が言う番だ」

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