声が聴きたい
こちらの話を聞き終わり、苦しそうに顔を歪めている人が、今度は話し出した。
相手の人がどうとかは、『捨てられた』と思い生きてきた私にとり、その直接的原因だから、同情すらなかったけれど、『乳ガン』はさすがに衝撃だった。
祖父母の死を間近にしてきて、否応なく誰しにも訪れるものだと、分かってはいる、はず。
それでも、8年余り交流のなかった人でも、死と隣り合わせなのを、淡々とは受け入れ難い。
これからも、きっと私たちの未来は交わることはないだろうけれど、どこかで『生きていて』とは願う。
話が終わり、私の中では許すとかそんなことではないけれど、あの人がいて、私が生まれて、今はお互いの居場所で生きてる、それでいいや、と思えた。
『死んでもいい』と見捨てられた訳ではないとわかったから。
囚われていた心が軽くなった気がした。
私の耳は、だからといって劇的に善くなるわけではないけれど、心が穏やかになったためか、それまで落ちていた食欲も7割戻り、なにより、声を出して心から笑えるようになった。
冷たいのかもしれないが、私の心はもう、関わりを切ってしまったのだ。
