めぐる季節、また君と出逢う
12. 初冬(2)
 スティックシュガーを全部入れてティースプーンをクルクルと回している。細く長い指がつまんでいるティースプーンの柄にアルファベットが重なったロゴが刻まれていた。所在無く掻き混ぜている仕草は、彼が何か言葉を選んでいるのだろうか。赤い透明感のある液体がカップの中に波立っている。
 「羽田、なんで…うちの大学にいるの…?」
 羽田はやっとスプーンを下ろしてティーカップの取っ手を摘んだ。愉快そうに笑っている。
「なーんでだ?」
 紅茶を啜りながらカップ越しにこちらを見る目が笑っている。駿太郎も笑った。懐かしい。本当に、懐かしい。
「ねぇ、羽田、背、伸びたよね?一瞬羽田だって分からなかったんだ。俺と同じくらいの背だったのに。」
「うん。大学に入ってから結構伸びたよ。7センチ、かな。」
「そんなに?いいなあ。」
 カプチーノの泡を除けながら駿太郎はカップに口をつけた。
「本当にいいの?講義…」
「うん。久々に会ったんだもん。再会した友達の方がずっと大事。」
 トモダチという言葉を意識して使った訳ではなかったが、言った後にその言葉を胸の中で反芻した。羽田は珍しそうに店内を見ている。
「ここ、知らなかったな。グランドに面した食堂と、第一体育館の近くにある喫茶店はよく行くんだけど。クラブ部室棟のとこね。──サークルでね…来るんだ。」
「サークル?」
「うん。ミステリー研究会。うちの大学にもあるんだけど、こっちの方が楽しそうだったから。」
「そうなの?羽田ってそんなにミステリー好きだったっけ?」
「どうだったかな。」
「そんな、他人事みたいに」
 駿太郎はただただ懐かしい。変わらない。彼の眉、目も、口元も、話し方も。声が幾分、低くなったろうか。高校生の時の羽田を横に並べて間違い探しをするように、駿太郎は羽田を見ていた。ティーカップを両手で前後に揺らしていた羽田がカップをまた口に運びながら苦笑いする。
「そんなに見ないでよ。」
「え…?あ、あぁ、ごめん」
 駿太郎は目を逸らして、薄くなったカプチーノの泡に目をやった。灰汁を取るみたいにスプーンで泡だけをすくってそれを食べた。何の味もしなかった。
「──平賀が、ここに入ったって聞いたから。」
「うん?」
「会えるかな、って思ってた。」
 逸らしたままにできない目を羽田に向けると、羽田は片手で襟足を撫ぜ付けながら、テーブルの脇のメニュースタンドを弄くっていた。メニューを見ている訳でもなさそうだ。おそらく、今の言葉が深い意味を持って届かないようにつとめてさり気なくしているのかもしれなかった。いつまでも想われていると思う程駿太郎だって自惚れている訳ではないし、あるいは万に一つ、羽田が昔の恋を懐かしむ位の気持ちで駿太郎を想ってくれていたとしても、羽田が「深い意味はない」と伝えたいなら、どこまでもそれに付き合おう、と駿太郎は思う。
「すごいよね。こんな大きな大学で、学生だって相当数いるのにさ、ちゃんと会えるなんて。」
 だから駿太郎も無邪気に言った。泡の無くなったカプチーノをもう一口啜る。
「ホットドッグ、食べようかなー」
 駿太郎は、カウンターの上に掛かったメニューを見ながら言った。あの頃の続きのように。詩土仁葦で食べたチップスの続きのように。

 四限が終わり、人と待ち合わせているから、と駿太郎はリュックを持ち上げた。日の短い冬、図書館と裏庭を繋ぐ通路は薄暗く、喫茶室の表の看板に灯りがついていた。
 「今日は遇えて嬉しかったよ。」
 そう、高校生の頃、寄り道した帰り道に最寄り駅で彼がいつも「じゃぁ、またな」と言った時のように羽田は駿太郎に真っ直ぐ向かい合って言った。
 「うん、俺も!」
 駿太郎は羽田を見上げる。それだけが以前と違う。「ほんと、背が伸びたんだね」駿太郎は素直にそう言った。その一言は、二人が一緒にいた過去を物語っていて、そして、二人が会わなかった時間を物語っていた。
 「平賀、携帯、教えてもらってもいい?」
羽田は少し遠慮がちにそう訊ねた。
「え?あぁ、うん。もちろん…」
ポケットに入れた携帯電話を取り出しながら駿太郎は答えた。とても嬉しそうに羽田もパンツの後ポケットから自分の携帯電話を取り出した。駿太郎は自分の情報を出そうと携帯電話を弄くってそれに集中していると、駿太郎の携帯電話を操作していない方の手首を羽田が握って喫茶室の入り口付近を譲るように誘った。喫茶室に入っていく人に爽やかな声で「ごめんなさい」と謝りながら会釈した。ふいに握られた手首の熱さが駿太郎を一瞬戸惑わせたが羽田は直ぐに手を離して、自分のダイヤルを操作し始めた。
「こんどこっちくる時、連絡するよ。また一緒にお茶しようよ。昼飯とかさ。」
 じゃぁ、と手を振ってタイルを蹴る音を聴いていた。羽田が掴んだ手首が熱かった。それは、羽田の手の熱さが伝わったのだろうか、それとも。

 高科の待つ学生課の前の食堂へ向かった。中央棟の図書館側の入り口で高科と会った。
 「あれ…駿…なんで?」
「あ、高科。何でって何?」
「あぁ、いや、だってお前、人文棟から来ると思ってたから…ま、いいや。じゃ、帰ろっか?」
「あ、あぁ、うん…」
 (高校時代の友人に偶然会ったから、って言えば…いいんだ、けど)
「あ、ちょっとまって一応掲示板確認して来てもいい?」
「ん?うん。じゃあ俺も。」
 さっさと言わないと変に意識しているみたいになる。
そう思うのだけれど、高科が思い出したように冬休みの計画を話し出してついに話しそびれてしまった。掲示板を確認しても何か上の空で何度も何度も自分の学年を確認してしまう。天井の高いホールで「おーい」と高科の声が響く。駿太郎は高科の伸びやかな低い声を聴いて、この人が好きだと改めて思う。小走りに高科の方へ駆け寄ると、高科はいつものように大きく笑って駿太郎を見下ろすと「行くぞ」と駿太郎の肩をポンと叩いて大股で歩いて行った。高科のピーコートの袖口から、高科の匂いがした。この人が、好きだ。駿太郎はもう一度、そう思う。

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