めぐる季節、また君と出逢う
13. 真冬

 羽田に会った日から一ヶ月経とうとしている。あの日図書館で駿太郎と差し向かうように立っていた羽田の姿がまだ目に焼きついているようだった。ふいにどこかで、あんな風に自分を見ているのではないか、そんなことを考えるのは自意識過剰だろうか。
 (でも、大学に来るときに電話するって言ってたし…)
駿太郎は図書館裏の喫茶室の前で携帯電話の番号をやり取りした時の事を思い出す。
 隠しているつもりはない。それとも、なかった、というべきだろうか。高校時代の友人がこの大学のミステリ研究会に入ってて、偶然図書館で会って、喫茶店で話した。ただそれだけのことなのに、高科が図書館裏の喫茶室に行こう、と言った時なぜか躊躇ってしまった。それは多分、あの時羽田に掴まれた手首の熱さをまだ覚えているからだし、加えて駿太郎を頑なにしている理由も確かにあって、それは、駿太郎が知らない間になくなった高科の「過去のダンボール」の所為でもある、と自覚している。
 おあいこ、という言葉が浮かぶ。でも、と駿太郎はそれを打ち消す。おあいこにもならない。だって、高科の方は少なくとも手紙や、手編みの──手編みのように見えるマフラーを貰ってそれを大事に取っておく位には「親しかった」のだ。ただ一度、恋心を告白されただけ、というのとはぜんぜん違う。高科はとても魅力的な男だと思う。過去にだれかいたとしても駿太郎は気にするまいと思うのに、言ってくれない、というのが気に入らない。あの段ボール箱を押入れから出したのは駿太郎であることは分かりきっているのに、あの箱を無かったことのようにしているのが気に入らない。それに女ばかりのビデオ。駿太郎は最近、高科が彼を求めるたびに「男に興味なんか無かったくせに」とちっちゃな悪態をつきたくなる。

 夢を見た。
図書館裏の喫茶室を通り過ぎたところに小さな裏庭のようなところがある。低めのベンチと、中世ヨーロッパ風の小さな水甕があり、夏や晴れた日には喫茶室の裏扉を大きく開け放ち喫茶室で頼んだものをそのベンチで食べることもできた。夢の中で、駿太郎と羽田は、高校時代よくそうしていたように、缶ジュースと缶コーヒーを手にしてそのベンチに座っていた。
「付き合ってるの?」
「え?」
 思いがけない問いかけに駿太郎は羽田を見詰めた。
「いつも一緒にいる…背の高い…」
「なんで…?男、だよ?」
 ふふふ、と羽田は笑う。
「そんなの…」
 そういって笑うのを止めた、羽田はとても真剣な顔をしていた。駿太郎は、これ以上ここに居てはいけないと急に思う。駿太郎は冷たいミックスジュースを半分ほど飲んで、
「俺、行かなきゃ。そろそろ次の講義、あるから。」
 と言い、立ち上がった。羽田がその手首をぎゅっと掴む。羽田の手は熱かった。
「噂で…、平賀がこの大学に入ったって聞いたから、だから──」
 駿太郎の手首を掴む羽田の手に力が入る。
「羽田…手、離して」
 羽田は聞こえてないようだった。それとも、聞こえない振りをしているのだろうか。ミックスジュースで潤したばかりの喉が渇いている。
「なに…?どうしたの…?」
「平賀…」
 羽田は弱弱しく微笑んでいた。羽田の手は震えていた。缶コーヒーで温めた手は熱いくらいだったのに、寒さに震えていたのだろうか。

 リアルな夢だった。目が覚めた後で、羽田に掴まれた手首にまだその感触が残っていた。自分の手でその手首を握り締めたとき、羽田の手の大きさが自分よりもずっと大きいのだと実感した。それは夢でしかなかったけれど、喫茶室の前で羽田が掴んだ手首の感触と寸分も違わなかったように思える。確かに羽田が掴んだ、羽田の手だった、と駿太郎は手首を撫ぜた。
 ──「平賀のこと、好きだったと思う」
 そう言った羽田の声が耳の奥で聞こえる。駅の雑踏の中に消えない位の声で伝えてくれた彼の誠意。卒業式の日にもその後に街の中で偶然出逢ったときにも、友情を頑なに伝えた笑顔。
 羽田は「今も好きだ」と駿太郎に伝えた訳ではない。その夢の中でさえ。それでも、好きだったと伝えてくれた頃やその後には思わなかった気持ちがいま駿太郎の胸の中で湧き上がってくる。羽田が掴んだ手首から、じんわりと伝わっていく何かが、胸の中を掻き混ぜる。それはきっと、駿太郎が今はもう、恋愛感情の想いの先にあるものを知っているからなのだろう。


 図書館裏の喫茶室の奥の窓際の席でコーラ・フロートのグラスの汗を頻りに紙ナプキンで拭いている駿太郎はどこか上の空で、そんな駿太郎の様子を伺っていた高科は、ホットドッグが二つのったダブルプーレトの二つ目のホットドッグに齧りつく寸前で手を止めて眉を寄せ「ねぇ、駿、聞いてる?」と少し苛立ったように訊ねた。
 「どうしたの?お前、最近なんか変・・・」
「え…?そんなこと、ない、でしょ?」
 駿太郎は破けそうな濡れた紙ナプキンをせわしく動かして作り笑いに似た笑顔を見せた。高科は大きな口をあけて一口ホットドッグを口に頬張り、それを噛み砕きながら言葉を選んでいるように見える。駿太郎は柔らかくなったバニラアイスをつつき、氷の表面でシャリシャリになったアイスクリームをこそげて舐めた。コーラ・フロートは、羽田があの頃好んで詩土仁葦で飲んでいたものだった。それを、羽田と再会を祝した場所でつい注文してしまった。嫌でも羽田のことを思わずに居られなかった。
 「そんなことあるだろ?」
 ストローを弄る駿太郎を高科は咎めるように見つめて言った。駿太郎はバニラアイスを掬って舐めた。
「ないって。」
「あるよ。」
 被せるように、早口に言う高科に、駿太郎は押し黙ってバニラアイスを掬っては舐める。
「何か言いたいことあるなら言えよ。」
「ないって」
 ホットドッグの半分を高科が二口で口に入れる。口の端からカレーの色のキャベツが二筋零れたのを舌で救い、親指で拭う。誰が見てもきっと彼はこんなにも色っぽく男らしく魅力的だ。駿太郎は高科の赤い舌が掬ったキャベツの行方を追ってそう思うと、いじけるような気持ちになった。
「なぁ、気乗りしないなら、止めてもいいよ?俺だけ行くから。」
「え?」
「長野。」
「あぁ。…何で?ぜんぜんそんなことないよ。」
「…。じゃ、何なの?」
「何が?」
「長野の事じゃないの?最近お前がなんか考え事してるっぽいのって。」
「別に…してないって…。眠いんだよ。高科が寝かせてくれないからだろ?」
 一度訊ね損ねたことを訊ねるというのは案外ハードルが高い。今がそのチャンスだったのだと、そう気付いた時にはもう、誤魔化した言葉がいつになく効果的に冬の喫茶室の穏やかな光の中で滑るように高科へと届く。高科は付け合せの野菜を口に運んだフォークをカシャリと白いプレートに乗せて、笑った。

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