甘い愛で縛りつけて


「同じ事を彼に聞いた時、彼は少しも迷わずに“別に何も”って答えたんだ」
「何も?」
「普通だったら、色々考えてもいいハズなのに、彼は即答だった。
だから、聞いたんだ。“大事なモノくらいあるだろう?”って。
彼は少し黙っていたけど、その後“俺には分かりません”って答えた」

事務長が、目を伏せたまま続ける。

「バカバカしい質問ではあったから、考えるのも面倒だって事かとも思ったが、彼の表情はそんな感じではなかった。
その時の、目を伏せて悲しそうに微笑む彼の顔が、今でも頭の中から離れないんだ」

事務長の頭から離れないっていう恭ちゃんの表情が、目に浮かぶようだった。
恭ちゃんのその表情を、私も見た事があったから。

私の頭からも、離れようとしないから。

「私は、何か大事なものをひとつだけ聞いたわけじゃない。別に、いくつあげてもらっても構わなかったのに……。
それに対しての彼の答えは、分かりませんってそれだけだった。
きっと、大事なモノを聞かれて、彼にはそう思えるモノがなかったんだろう。モノも……人も何も」


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