君には聴こえる


歌声を追いかける柔らかなピアノの音色。絡み合う歌声が、胸に沁みていく。


振り返らずにはいられなかった。


煌々としたコンコースの外、街灯がぼんやりと浮かび上がらせたのは、噴水の前に立つ若い男性。彼を囲んで、数人の後ろ姿もある。


考える前に、歩いてきた道を引き返していた。歌声に引き寄せられるように。


歩道に立つ木の傍で立ち止まり、耳を澄ませる。


彼の口から漏れる息の白さが寒さを思い出させるけど、それさえ見えなければ寒さなど忘れてしまいそう。温かく柔らかな声は、冷え切った体をゆっくりと溶かしてくれるようで心地よくて。


時折、目を閉じて歌声に身を委ねてみた。少しの間でいいから、現実から離れていたい。忘れてしまいたいと。


歌い終えた彼は、疎らな観衆を見回して息を吸い込んだ。ゆるりと口角を上げた彼の視線が、私へと注がれる。





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