婚カチュ。


「……」
 

声にならない。
 
胸の底からこみ上げる感情が、外に出たいとからだの中であばれている。

口にしてしまいたい。どうにもならないと分かっていても、好きな人に好きだと言いたい。
 

子どものように、混じりけのない簡潔な言葉で、純粋な想いを。
 

そしてわたしは、戸田さんの泣きそうな笑顔を思い出した。
結婚相手として見るなら、彼よりほかにいい人はいない。
 
広瀬さんがすっと目を細めた。真偽を見極めようとするように、わたしを見下ろす。


「あなたは俺のことが好きだと言いました」
 

わたしは大人になろうと決めたのだ。
感情に流されない、理性的な大人に。
 
今度は逸らさないように、怜悧な光をともす彼の瞳を、じっと見つめ返す。


「好きじゃ、ないです」
 

広瀬さんは笑った。


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