レイプ
最初の誘拐されたという衝撃が去っても、あまりこの男を怖いと感じないのは口調が柔らかいからだろうか。
そんなことを思いながら、澪は小首を傾げた。
「どうしてお父さんじゃなくてお母さんなの?」
そう聞くと、男は携帯電話を澪の掌に乗せながら言う。
「女の人は感情的になるからね。娘の命がかかってるとわかったら、警察には電話しない」
「……ふぅん」
澪は納得したように頷いて、携帯電話を見つめる。
それは、半年前に父が買ってくれたものだった。
普段、あまり家にいることがないからと申しわけなさそうに言って、プレゼントしてくれたもの。
貰ってから、一度も父に掛けたことはないけれど。
……そういえば、いつからだろう。
家に帰っても、家族であまり話をしなくなったのは。
朝食を食べるときも、家に帰ったときも、お風呂に入るために給湯器のスイッチを押すときも。
そして、ベッドに横になるときも。
気づけば澪はいつもひとりだった。
朝は仕事が忙しいからと父は言って、澪が起きるよりも早い時間に出掛けていく。
母も同じで、食卓にはいつもラップをかけられたサラダと食パンが置いてあって、『学校に行くときは鍵をかけていってね』とメモに走り書きが残されていた。
いつも冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注ぎ、食パンを焼いて食べるひとりきりの時間。
寂しいな、と思いながらも、ふたりとも忙しいのだから仕方ないと思って諦めていた。
だから、ふと思ってしまった。
自分が誘拐されたことを知ったら、お父さんもお母さんも、心配してくれる。
また、昔のように側にいてくれる。
幼い澪の心は、誘拐という許しがたいはずの犯罪に遭遇してしまったことを、とても幸運のように思ってしまった。