いろんなお話たち



保健は選択授業だったから、すぐに担任の先生に言って美術に替えてもらった。
保健の中には体育もあって、
「(体育は)車椅子だとあまり参加できないんで」
と言ったら先生は追及することなく、すぐに手続きをとってくれた。
毎週昼休みの、ベッドに横になる時間は……、保健室でなく、医務室でとることにした。
距離を置く=避ける。
廊下で声かけられても、なんでも……私はひたすら、トオルさんの声を無視した。

「…失礼します。安西先生、胡桃…来てますか?」
「!」
今日も。
医務室には、ドアを開けて先生が入ってくる。
ベッドの上。
体を起して本を読んでいた私は、慌てて布団をかけて、仰向けに横になった。
本は布団の下、おなかのトコで両手で握っている。
「あら、大川先生。唯さんなら今ベッドに……」
もしかしたら休んでるかもしれないわ、と安西先生が言葉を続ける中、
「それならそれで構わないんですが―――」
トオルさんの声が近くなる。
シャ……と、カーテンが少しだけ開いて、
「………っ」
また、閉まる音がした。
「(? トオルさん、覗くだけ覗いてやめたかな…?)」
そう思った時。
「!」
私の頬を包み込むように、何か温かくて大きなものが触れた。
…手…?
「唯」
囁きが近くなる。
「…唯」
一瞬、吐息が唇に触れた……と思ったら、次の瞬間には耳元で感じた。
「……今日、一緒に帰ろう。いつものところで待ってる」
先生は、もしかして私が狸寝入りしていると思っているのか。
私はそのまま、何もしないで無言でいた。
すると、頬にあった手も、吐息も……気配そのものが、離れて。
カーテンを開ける音はしなかった。
多分、ちょっとだけ開けて、それで出たんだろう。
「安西先生、どうも失礼しました」
「いえいえー。またどうぞ」
そんな会話の後、ドアが開いて……、先生の足音は、聴こえなくなった。

「(今日。何日だっけ…)」
今までこんなことはなかった。
呼んでくれたことはなかった。
再会してからは、いつも一緒に帰ってたから。
避けてからは、会いに来てはくれたけど、「一緒に帰ろう」って言ってくれたことは一度も……。
携帯のディスプレイ画面。
カレンダー画面を見て……。
「(あっ)」
気付いた。

6/24

今日……、トオルさんの誕生日だ……。
「………」

―――――7.7
「唯。誕生日おめでとう」
「わぁーっ、ありがとうございます!!」
素敵なレストランでのディナー、可愛いプレゼント。
幸せだった……誰かに祝ってもらったのは、久々だったから。
両親が死んで、親戚の誰にも引き取ってもらえなかった私は、生活介護を受けながら、両親が残してくれた僅かな遺産で1人暮らしをしていた。
最初は、引き取ってくれなくても親戚の人が少しだけお金を送ってくれてた。
でも、今は……。
近所のファミレスの店長さんに頼みこんで、土日、一日中、バイトしてる。
そんなわけで、この何年かの間にはもうすっかり。
1人で誕生日を過ごすことに慣れていたから、だからこうして、トオルさんと再会できたことはもちろん、昔のように祝ってもらえたことが本当にうれしくて……。
すると、そんな私の反応にどう思ったのか、トオルさんが、
「じゃ、次は俺を祝ってくれ」
「え?」
「一年後。また、ここに来よう」
―――――――

もう、一年経つんだ。
早いな…。
「(あれ? でも私、プレゼント…)」
車椅子の後ろにかけたリュックを前に移す。
中を見ると…あった。
黒い紙袋……私、ちゃんと準備してたんだ。
今まで避けてきたのに…考えないようにしてきたのに…。
「やだな…もう……」
微笑むと、視界が霞んできた。
堪え切れなくて、リュックに顔を押し当てて泣いた。

早めに渡してしまおう。
一緒に帰ることはできないけど。
大丈夫、魅紅ちゃんに見つからなければ……考えながら保健室に来たら。
「遠山…教室に戻らなくていいのか?」
「大丈夫ですっ。だって、トオル先生と話していたいんだもん」
…そんな会話が、聴こえた。
きゅっ、とハンドリムから手を放し、車椅子を止める。
「そーだ、先生っ。プレゼント!」
「…え?」
「!」
驚いていたトオルさんの声と同じく、私も驚いた。
そんな…私は教えていないのに、一体ドコで…。
「……まさか、遠山から貰えるなんてな」
「ありがとう」、そう続けたトオルさん。
「どういたしましてっ」と明るく魅紅ちゃんが答える。
「えー? 自分で教えといてそんなぁー。先生も待ってたんじゃないんですかぁ?」
「そういう意味じゃなかったんだけど」
「じゃあ、誰か送ってほしい人がいたとか?」
2人の会話をよく聞けなかった。
だって、まさかそんな、そこまでトオルさんと仲良く…?
「――いいからもう帰りなさい。次、授」
トオルさんの声が、途中で途切れたのは私が踵を返したから。
その場から、逃げるように立ち去ったから。
「っっ……」
早く、速く。
車椅子をこいだ。
どうしてこんなに哀しいのかわからない。
どうしてこんなに悔しいのか……っ、涙が流れるのかわからない。
魅紅ちゃんが私より先にトオルさんにプレゼント渡しちゃったから?
だからこんなに胸が痛いの?
「(そんなっ…)」
ただでさえ、好きになっちゃいけないのに。
こんなに――こんなにトオルさんのことを。
想っていたなんて。
「(嫌っ……)」
いやだ―――――――自分が、本ッ当にしつこい女で、嫌になる。

学校を出て、近くの川が流れる道路に出た……。
リュックの中から紙袋を出す。
棄てよう――そう思って、紙袋を持った手を、勢いよく前に振り下ろそうと、
「              」
……できなかった。
持った手で、紙袋を胸に抱く。
紳士売り場で買ったハンカチ。
たった600円のものだけど。
でも――もらってほしい。
あげたい……強く、そう思った。
「……」
鞄に下がるピンクのうさぎのぬいぐるみ。
これ…去年、もらったもの。
自分だけもらって、お返ししないなんてね……。
それに、いつもお世話になってるから……。
『トオルお兄ちゃん』
小さい頃は、気軽にそう呼んでた。
大好きなんて、言ってた。
プレゼントは、誕生日に関係なくあげてた。
いつから……自分はいつからこんなに、遠慮するようになっちゃったんだろう。
トオルさんの前では、素直でいたいのに―――。

〝誕生日おめでとうございます〟。
なるべく綺麗に見えるように、一字一字気をつけて書いた。
小さなカード……。
それを貼りつけた紙袋を、保健室のデスクの上に置いた。
保健や体育は、〝書く〟テストはない。
ゆえに、トオルさんは私の字を知らない。
それで良かった。
送り主不明だから、もしかしたら不審がられてすてられるかもしれないけど。
それでいい。
むしろ、そうしてほしい。
「(先生…)」
そう呼べば、そう思えばすぐに他人に戻れると思ってた。
けど…幼馴染という感情さえ、未だに薄まることはない。
泣きそうになって、空を見上げたら、……目が濡れて。
――――――待ってる。
「………っ」
目を堅く閉じて、顔を下に落とす。
本当は一緒に帰りたい。
でも……。
保健室で横になってた時、狸寝入りしてたって、気づいてないはず。
だからムシという選択肢を……〝聞いてはいない〟という選択を…私は選ぶ。
「………」
震える手で、ハンドリムをつかんだ。
そうして、周りの生徒が帰る中…私もその中にまぎれて、校門を出た。
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