たったひとりの君にだけ
そうです、私は今すぐ逃げたいのです。
ヒール高めのブーツでも、気にせず全速力で走り去りたいのです。
何故なら、この男に関わるとろくなことにはならないと、今年に入って既に実証済みなのだから。
それなのに、樹は容易に解放してくれない。
意味不明の問い掛けの連続で、私達をこの場に留まらせる。
しかもそれは、とてつもなくどうでもよくて、とんでもなくくだらないから、私は呆れるしかなかった。
「でも、芽久美のこと好きなんだろ?」
どこか挑発的な目を向けていた。
それは勿論、私ではなく隣の彼に。
開いた口が塞がらないとはまさしくこのことだ。
初対面のくせにそこまで突っ込んだ質問をぶつける樹が信じられない。
最初の柔らかな物腰は完全なる猫被りだ。
やはり海外転勤を経験して、物事はハッキリさせなきゃいけないと荒波に揉まれた所為だろうか。
「樹うるさいよ。黙れ」
「充分静かに喋ってるだろ」
「そういう問題じゃないよ、バカ」
末尾の2文字に力を込めると、樹は私に負けず劣らずの細さで私を睨んだ。
「じゃあ、どういう問題なんだよ。第一、お前には聞いてない、バカ」
「バカにバカとか言われたくない。そんなことより早くパーティに行きなさいよ。待ってるでしょ」
「主役は遅れて登場するもんなんだよ」
ああ言えばこういう。
自分と同等の捻くれ具合に感心しつつも。
ホント、イライラする、この男ッ!
「……もうっ、いい加減に、」
「あなたに言う必要はどこにありますか?」
けれど、思わず一歩踏み出そうとした私を、すっと遮った腕。
しかも、体だけでなく、言葉まで。
それは、樹の態度豹変に戸惑っていたように見えた高階君にしては予想外の言動で。
だけど、その声は芯が通ったように強かった。