たったひとりの君にだけ
「こんな形じゃなきゃ、酒の一杯でも飲みたいところだけど」
マンダムの話を酒の肴に、と口にしたところで樹のiPhoneが着信を知らせた。
上着のポケットから取り出して、瞬時に『悪い、今行く』と一言告げて電話を切る。
そして、ふうっと白い息を吐いた後で、向かう先へと足を向けた。
「じゃ、俺そろそろ行かないといけないから。まぁ、二度と会うことはないと思うけど、また会えるといいね」
明らかな矛盾を口にして、片手を挙げて去ろうとする。
その横顔を細めで睨んでいると、樹は『あっ』と小さく声を漏らし、僅かに振り返った。
そして、無駄に口角まで上げながら、身勝手男はこう言った。
「高階君。芽久美のこと、途中までちゃんと送っていってね。じゃ」
すこぶる偉そうに、去り際に一言付け加えて完璧に背を向ける。
なんだかんだ言ってやりたいことはある。
だけど、もうどうでもいいから早く行ってくれという思いだった。