たったひとりの君にだけ
そして、今度こそフロアを後にしようとした。
けれど、途端に、1年目の新人に大きな声で呼び止められた。
今度はなんだろうとこっそり悪態をつきながら返事をすると、受付から電話が入っているという報告を受けた。
「え?」
「お帰りのとこすみません。どうしますか?」
別にあなたが謝ることじゃないよ、と思いつつ、溜息を吐いて了承する。
本音を言うと、せっかく帰れるっていうのに面倒ごとには巻き込まれたくない。
けれど、信用問題に関わるかもしれない、このプレッシャーを抱えて、土日を過ごす勇気は私にはない。
小さくチッと舌打ちをして、受話器を手に通話ボタンを押した。
「もしもし、営業部の椎名です」
『あ、営業部の椎名さんですか?』
それは聞き慣れない声だった。
新人だろうか。
「はい、そうですが」
『お疲れのところすみません。あの、実は、受付に高階さんという方がいらしてます』
「はっ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
だけど、仕方ない。
そのワードを耳にして、身に覚えのある人物は一人しかいないのだから。
『アポなしとのことですが、急用らしいので一応繋いでみたのですが』
急用ってなに?
しかもわざわざ会社に来てまで。
一体、何があったっていうの?
『いかがなさいますか?』
いかがなさいますかと言われても。
私には選択肢なんてひとつしか用意されていないように思うのですが。
『もしもし、椎名さん?』
「……あ、すみません。あの、ちょうど今退社するところなので、そちらに向かいます。少し待っててもらえるようお伝え下さい」
そう言って、私は電話を切った。