たったひとりの君にだけ

心の中で軽く謝って(8割方嫌味なのは言わずもがな)、最後の調理を開始する。

卵をもうひとつ足してあげようかな、と考えていると、隣から軽やかな声が聞こえた。


「そういえば、直輝と会ったんですよね?」


もう情報がそっちにいってるんですか。

さすが情報化社会。
筒抜けだ。

それより、また喋り出したら手元がお留守になるでしょ。


「そうだけど。彼、結婚してたんだね」

「あれ?言ってませんでしたっけ?」

「うん、聞いてない。奥さんの名前、佑李さんだっけ?」

「はい。佑李も同じ大学なんですよ。同じ工学部」

「へえ」


理系女子。
遠い響きだ。


「それよりも、メガネ君、相変わらずのド派手眼鏡でびっくりしたんだけど」

「“メガネ君”?」


なんだそれ、という疑問を纏った声に、私はフライパンから目を離さずに答える。


「そ。メガネ君。わかりやすい呼び名でしょ。勿論、本人には無許可だけど」


ずっと心の中で呼んでいただけ。
粗相なく、ちゃんと久瀬さんって呼んでました。


「確かに、的確なニックネームですね」

「でしょ」

「でも、メガネ君って呼んでも、直輝、喜ぶと思いますけど」

「なんで?」

「アイツ、スラ○ダンクの中ではメガネ君が一番好きだから」

「え」


思わず手が止まる。
手際が命なのに手が止まる。


「陵南戦の3Pシュートは何度見ても涙止まんないらしいです」

「……そりゃ、私もあのシーンは好きだけど」

「俺も好きですよ。あ、じゃあ、メガネ君と仲のいい俺は、さしずめゴリってとこですかね?」

「え」


数度目の『え』。

ゴリ。
大黒柱のゴリ。
メガネ君と共にインターハイを目指した努力家のゴリ。


「俺、ゴリも好きだな~」


高階君。

君は威厳ゼロです。
< 263 / 400 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop