たったひとりの君にだけ
だけど、そんなことも言っていられない。
私は社会人、トレーナーという立場。
そろそろ会議室に向かわなければいけないのだ。
今日の相手は実加ちゃんだから、脱線しないように気を引き締めなければ。
前科があるから尚更だ。
「……あ」
そして、マグカップ片手に給湯室を出ようと思った、ちょうどそのとき。
出入り口から、この後テーブル越しに向き合うはずの人物が現れた。
「やっぱりここにいたんですね」
そう言うと、実加ちゃんはふっと笑みを零した。
「あ、ごめん。もしかして時間過ぎてた?」
腕時計を確認しようとする私を、実加ちゃんが制する。
「いえ。まだ大丈夫です」
「そう?よかった」
安堵の息を漏らした後で、『なんか飲む?』と尋ねると彼女は首を横に振った。
本当にただ、私を探しに来ただけなのかと思う。
「……あ。忘れてた。私、会議室の鍵取りに行かなきゃいけないんだった」
「それならもう取って来ましたよ。会議室、開けときました」
「ホント?ありがと」
気が利く後輩だ。
私がぼけ~っとしているあいだに面談の準備を済ませてくれたらしい。
そういう気遣いは何においても役立つから、実加ちゃんの未来は明るいと思う。