たったひとりの君にだけ
数杯目のマティーニが瑠奈の前に置かれる。
アルコール度数が高いことなんて言わずもがな。
だけど、いくら飲んでも瑠奈が呂律が回らないなんてことはないし、足元だってふらつかない。
余裕で電車で帰れるような女だ。
そして、お酒にも強く性格も私同様キツイ女は、一口味わって、グラスを置くと同時にこちらを向いた。
「ホントにこれでいいと思ってる?」
言葉以上に鋭い目つきは脅迫にも感じられる。
「思ってないからわざわざ呼び出したんでしょう?」
答えなんてはじめからわかり切ってると言わんばかりのプレッシャーに、私はキャップが開けっ放しのミネラルウォーターに逃げようとする。
けれど、瑠奈が華麗にそれを取り上げた。
「ちょっ、」
「どうして一番簡単な方法を使わないわけ?」
心底信じられないといったような声色が、至近距離で私を襲う。
私は僅かに体を左に逸らす。
「ねえ、マスター。マスターだってわかるでしょ?ここまできたら、芽久美に残されてる選択肢」
「ああ、わかるな」
さらっと同意すると、マスターはチラッと私に視線を移動させた。
一瞬でも、盛大に居心地の悪さを感じてしまうのは。
一人蚊帳の外ではなく。
二人の言いたいことを、わからないわけじゃないからだ。
「芽久美の後輩、賢いじゃない。結局はその子の言ったとおりでしょ」
だからこそ、どういうこと、とは聞き返さずに。
けれど今は、正論を相手にしたくない気持ちが勝る。
右耳から左耳へとすり抜けていくことを願い、私は口を噤もうとする。
「聞いてる?」
「……黙秘権」
「真面目に答えてよ」
「……聞きたくないけど聞こえてるわよ」
だけど、結局は私が折れる。
本当に、私の周囲は正論ばかりだ。
後悔しないで下さいと、給湯室で言われたあの言葉に背中を押されて、私は樹との決着をつけて。
思考フル回転で高階君にメールを送った。
これで全て上手くいくと、そう思いながら。
だけど、あのときと状況は一変してしまった。
勝算が見えない戦いに自ら挑めるほど、私は強くいられない。
「……ったく、隣の隣の隣の隣だっけ?そこのインターホン、ポチッと押せばいいだけなのに」
「簡単に言わないでよ」
「結局はそういうことでしょ?」
「……っ、だって!もう、嫌われてるかもしれないのに!」
絶対的に口にしたくなかった事実。
「どうして決めつけるの?」
「現にメールが来ないじゃん!」
じゃあ、メールが送れない理由がある?
連絡先を間違えて消去したとか?
うっかりトイレにスマホを落として水没させちゃったとか?
そんな自分本位な理由を信じるほど、私は単純じゃない。
だとしたら、それこそ高階君は隣の隣の隣の隣のインターホンを押して、笑いながら私に会いに来るだろう。
恥ずかしそうに、失態を口にしながら。