たったひとりの君にだけ
ここまできて、後戻りなんてするんじゃないと。
「……ったく、じゃあ、私がミツオ狙っちゃおうかな。どうせ今フリーだし」
それなのに、えっ、と思ったときには遅し。
高速で首を曲げて声の主を向いたのに、そこには既に満面の笑みが準備されていた。
「芽久美が好きになるくらい、いい男みたいだし?」
胡散臭いニコニコ顔。
騙されてやるもんかと思う。
たとえ乱暴な言葉の羅列でも、数秒前まで背中を押してくれていた人間の台詞とは思えない。
「……冗談やめてよ」
「なんで冗談って言えるの?恋愛は自由でしょ?弱肉強食でしょ?」
「確かにな。恋愛に明確なルールはない。だから俺は離婚した」
急に会話に入って来たかと思えば、余計なこと言わないでよ、マスター!
しかも突っ込みづらいことをさらっと口にしないでよ!
瑠奈でさえ顔を引きつらせている。
「……と、とりあえず、マスターの話は置いといて」
「ひでえな、放置プレイかよ」
「ごめん、マスター。この流れでその話はややこしくなる。あとでいっぱい相手してあげるから」
意外にも大人な反応だ。
けれど、マスターだってなんだかんだ言って優しい。
もう店はクローズの時間をゆうに越えて、明日なんて土曜日だ、ランチはさぞかし忙しくなるだろう。
早く帰って床に就きたいだろうに、それでも店を閉めることなく、私達の相手(厳密には私)を買って出ている。
「で、芽久美ちゃん。狙っちゃってもいいよね?」
両手で頬杖をついて、今も尚、懲りずに可愛らしく爆弾発言を繰り返す。
罠にかかっちゃいけない。
わかってはいても、口数がゼロに等しくなる。
そんな彼女に、少なからず恐れを抱いてしまうのは。
「聞いてますか~?落としちゃおっかな~」
つまりのところ、瑠奈にかかれば落ちない男はいないからである。
彼氏が途切れることはほとんどない。
去年の年末から今にかけて、言わば奇跡なのだから。