たったひとりの君にだけ
反射的にビクッと肩が動く。
けれど直後に体が硬直して、なかなか顔を上げられない。
一方で、心臓は忙しなく、より一層、スピードとボリュームを上げた。
『……はい』
たった2文字、有り触れた応答。
たったそれだけ。
それだけなのに。
出た。
出てくれた。
機械を通した声だけど、それでも久し振りに聞く彼の声に。
どうかしてる。
これだけで、涙腺が緩みそうになるなんてホントどうかしてる。
「あ、……私、椎名だけど」
『……はい』
間を置いた後で聞こえた二度目の応答は、一度目とさほど変わらずに。
明らかに低くて、篭っていて聞き取りにくい。
けれど、それだけではなく。
『……どうしたんですか?』
熱いものが込み上げた私とは反対に、氷のように冷ややかな声だった。
落とされた気分だった。
鋭利な氷柱が突き刺さるように瞬時に痛みが走っていく。
脳内に準備されていた次の台詞を飲み込んだ。
『……あの、どうしたんですか?』
繰り返しの台詞も未だトーンは悲しくも維持されたまま。
急かされる雰囲気を感じた私は、焦りながらも言葉を押し出す。
「……あ、あの、渡したいものがあって」
『え?』
「うん、渡したいもの……ちょっと、出て来れないかな」
機械越しゆえ、そこまでは気付かれないだろうと思いつつ、今にも震えそうな声を必死で隠す。
なけなしの勇気を振り絞ると、高階君は小さな声でわかりましたと呟いた。
とりあえずの展開に、一瞬だけ安堵しつつも勝負はこれからだと言い聞かせて無理矢理奮い立たせる。
そうでもしなければ、すぐに逃げ出してしまいそうだからこそ。
忙しない鼓動を直に感じながら、きっと扉が開いてくれるであろう瞬間を待つ。
これほどに時間は流れるのが遅いのかと、自分の感覚を疑ってしまうほどに長い。
たった1秒が何十倍にも、何百倍にも感じられる。
今の私には、待ち侘びるという表現が的確だとは思えない。
けれど、一向に抑まる気配のない心音と共に、ひたすら俯き、そのときを心の中で祈るのみ。
そして、ゆっくりと扉が開いた。