たったひとりの君にだけ
背後のガチャッという音を聞いて、一際高鳴る心臓。
ようやく手が離される。
狭い玄関。
至近距離。
扉と彼に挟まれる。
この状況は一体なんなのか。
回らない頭。
速度を増す中枢。
何ひとつ言うことを聞いてくれない。
「すみません、急に」
相手の出方を待つしか他にないと思った矢先、酷く冷静な声が降った。
数秒前まで掴まれていた箇所が、無性に熱を保ったままで。
思わず左手で触れた。
「え、いや、あの……助かった、んだと思うから」
正直に口にすると、何も反応を得ることなく、沈黙が流れた。
彼の部屋は無音だ。
テレビの音も聞こえない。
その場限りの嘘ではなく、本当に勉強していたのかもしれないと、ほんの僅かだけ落ち着いた頭でそう思った。
そして、意外にも背の高い、彼の影に隠れた若干の薄暗さの中で。
俯く私は彼の足元、季節外れの黒い鼻緒のビーチサンダルを見つめる。
聞きたいことは山積みなのに、やっぱり何から言葉にすればいいのかわからなくて。
だけど、きっとそれは高階君も同じような気がして、無言の応酬が続く。
苦しさや気まずさが薄れているとは思わない。
だからこそ私達は互いに口を噤んだままなわけで。
けれど、決して気のせいではなく。
何故か、それらの感情を生み出していた理由が、今は数分前と心なしか異なるように思えた。