たったひとりの君にだけ
「俺、バレンタイン、期待してたんですよ」
唐突すぎる発言に、思わず目を丸く見開くと。
彼は、顔を背けながら続けた。
「厚かましいけど、期待してて、当日は早く帰って待ってようとか思ってて。でも、上司に飲みに誘われて、断れなくて渋々参加して。で、……その帰りに、見ちゃったから」
語尾が細く掠れていた。
何を、と聞き返さなかったのは、その口から紡がれるであろう言葉が読めてしまったから。
「……芽久美さんが、神村さんと抱き合ってたから」
私は固く目を閉じた。
「芽久美さんが店から出て来たの見えて、声掛けようと思ったら後ろから神村さんが出て来て、で、俺、見ちゃって。何してんだろって情けなくて、すぐにその場を立ち去って、で、直後に『お話があります』ってメールが届いて。……バレンタインなんてただのイベントだけど、でも、その日にあんなに嫌ってた神村さんと食事して、しかもあそこ高級店だし、あんな場面見たら……俺、フランスに行くっていう報告だと思って」
「ち、ちが、」
違うと思い切り否定しようとしたところで、すっと顔の前に手を出された。
瞬時に彼の顔を見ると、そこには懇願するような目があり。
まるで、“最後まで聞いて”と言われているようだった。
「……俺、自惚れてたんだって思いました。この3ヶ月弱の間に、芽久美さん、少なからず俺に笑顔を見せてくれるようになったし、いろんな話してくれるようになった。だから、もう一押しかなって思って、気合い入れて筋トレしたり、直輝に聞いてスキンケアってやつをしてみたり。でも、その自信が、あの日を境に全て崩れ去ったんです」
彼に従い、口を噤んでいた私だけれど。
彼の顔を覗き見ることすら出来なくなった。
思わず唇を噛んだ。