愛を知る小鳥
タクシーが辿り着いた目の前にあったのは、女性が一人暮らしをするにはあまりにも心許ない、とても古びたアパートだった。セキュリティなど当然ないであろう場所に住んでいたことに潤は少なからず衝撃を受けていた。
秘書になったのはつい最近とはいえ、自分の会社は世間一般よりは収入も悪くないはず。それなのに何故このようなところに…?

「いつからここに住んでるんだ?」

「…高校を卒業した頃からです。当時は金銭的にも余裕がなくてやっと見つけたのがここだったんです。就職してある程度落ち着いたら引っ越そうとも思ってたんですが…ここでも何の支障もなかったので今でも住んでるんです。やっぱり驚かれますよね」

美羽は苦笑いしながらアパートを見上げた。

「ご両親とは一緒じゃないのか?」

「…両親はもう他界しています」

どこか遠くを眺めるように美羽は答えた。

「…すまん、余計なことを聞いてしまった」

「いえ、何も気にされないでください。別に何か苦労しているわけでもありませんから」

そう言ってニコっと笑う美羽の姿が何とも言えず儚げで、今にも消えてしまいそうに見える。

「…部屋は何階だ?」

「2階です。でもあと少しだけなので本当にここまでで大丈夫です」

部屋まで連れて行くと口から出かかったが、触れられることにやたらと反応する美羽のことを思い出し、潤はそれ以上無理強いすることをやめた。

「…わかった。じゃあしっかり患部を冷やして安静にしてくれ。さっきも言ったが明日になっても痛みが増すようであれば念のため病院で見てもらう。それだけは譲れないからな」

「はい、わかりました。ご心配くださってありがとうございます。それから送っていただいてありがとうございました」

「あぁ、ゆっくり休め。…今日は本当に悪かったな」

「何のことかわからないです。ではお疲れ様でした」

微笑んで一礼すると美羽は足をかばいながらゆっくりと階段を上がり、扉の前で振り返りもう一度頭を下げてから部屋の中へと消えていった。
部屋に灯りがつくのを確認してから潤はゆっくりタクシーの方へと歩を進めた。
< 43 / 328 >

この作品をシェア

pagetop