月夜のメティエ
「顔は広いけど、友達をえり好みしてそうよねぇ」

 またウフフと笑った。なんだか喜んで良いのかどうなのか。

「奏真くん、結婚するそうで」

 カウンター席には誰も座っていなくて、あたしだけだった。だから必然的にママはあたしの前にずっと居る。

「ああ、そうらしいわね。あたし会ったこと無いんだけど」

「ここに来たこと無いんですか?」

「無いわね」

 そうなんだ……そういうものなのかな。奏真にとっては仕事場だものね。

「仕事中ですものね」

「そうなのかしらね~よく分からないけど」

 さっき頼んだサラミとチーズが出てきた。夕飯は、帰ってお腹が減っていたら食べよう。空腹に飲むのは本当は良くないんだけどさ……。だってこう、染み渡る感じが良い……って、本当におっさんかあたしは。

「朱理ちゃん会ったこと無いの?」

「いやいや、無いです。あたしただ奏真くんの同級生なだけですから」

「ふうん」

 この店にその結婚相手の彼女が来るようになったら、壱路ママから聞いてもおかしく思われない様に、本当にただの同級生だと言っておかないと。そうじゃなくても、彼女じゃない女と一緒と聞けば、痛くもない腹を探られてしまう。トラブルは避けたい。

「彼女、奏真くんのお相手。同級生だって言ってたわ、確か」

「え、そうなんですか」

 どこの同級生だろうか……。あたしじゃない。いやいや当たり前だろ。そんな身の程知らずなことを。何を言ってるんだ。高校とか、大学? そのあたりはあたし知らないんだけど。

「高校とかですかね」

 持ったグラスの冷たさが、指を冷やす。外が寒くても、ビールは冷たい方が良いのはなぜだろう。温かいのは飲んだことないけれど。

「なんか、ピアノ教室のお嬢さんらしいわよ」

「ピアノ……教室?」

 どこのピアノ教室? こども音楽教室のだろうか。一気に酔いが冷めた気がした。

「そう、お世話になってたピアノ教室のお嬢さんだとか……。同級生の」

 ピアノ教室の、同級生? それって、まさか……。

「妊娠してるって聞いたけど」

 ママ、ちょっと黙ってて貰えないかな……。混乱してる。あたしは、瞬きを忘れたようだ。


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