今昔狐物語
待ち人がやって来たのは昼見世が終わり、夜見世の準備を始める忙しい夕方だった。
着付けや化粧などの仕度を終えた蛍は空き部屋で一人、床入りの作法を頭の中で復習していた。
(怖い…よ)
身体が緊張で震える。
しかし、それは初体験に対してのものではなかった。
(…っ…よし……)
頭での復習を終え、彼女は傍に置いておいた包丁を見つめた。
台所から借り出してきたそれに、恐る恐る、手を伸ばす。
その時――。
「蛍…」
背後から掛かった声にバッと振り返る。
「水真馳…!」
暮れ行く日を背景に、人間の姿をした水真馳が佇んでいた。
「蛍、すみません」
「え?何、が…?」
謝られる意味がわからず、問い掛けると――。
「貴女をさらいに来ました」
彼の瞳が鋭く煌めいた。
本気の眼差しで一歩、一歩、蛍へと歩み寄る。
「貴女が嫌だと泣き叫ぼうが連れ去ります」
「な、なんで…」
なぜ今さら。
水真馳の考えが――心がわからない。
「わかりませんか?わかるでしょう?」
彼は口角を上げながら囁く。
そして、蛍をその腕の中に閉じ込めた。
ギュッと強く抱きしめられ、切なげな吐息まじりの言葉が紡がれる。
それは…。
「貴女が愛しいと…気づいたからです」
愛の告白だった。