駅前ベーカリー
秋とおいもシェイク
暑さだけは厳しかったものの、比較的仕事量が少なかった夏休みが終わった。そして成績処理の時期もようやく終わろうとしている。気が付けば9月の下旬になっていた。成績処理しかないのであれば大変ではなかったのかもしれないが、通常業務に成績処理は上乗せされる。それにともなって、理真の顔には疲労の色が色濃く出てしまっていた。そのせいで、朝ベーカリーに行く頻度はがた落ちしていて、ベーカリーの営業時間に間に合えば駆け込みでパンをたまに買う、くらいの人になっている。
しかし明日の朝は違う。絶対に行くと決めている。何度もトライしては本日分販売終了の文字にがっくりと肩を落としている『おいもシェイク』を朝一で飲む。大きな仕事は木曜日である今日終わらせている。明日の朝、ちょっと優雅に過ごして週の最後の金曜日を気持ちよく終えたい。そのためには『おいもシェイク』を飲みたい。
(…寝坊しない、アラームはかけた。念のため10分おきに追加っと。)
スマートフォンを枕元に伏せて、理真は静かに目を閉じた。
* * *
「あっ、おはようございます!」
「おっ…おはようございます…。」
岡田の元気いっぱいの挨拶に一歩出遅れるような形で挨拶をしてしまった。久しぶりに浴びる岡田の笑顔は眩しかった。一体いつから顔を合わせていなかったのか覚えていない程度には朝、来ることができていなかった気がする。
本当に朝一番で来てしまったため、まだ他には客はいなかった。岡田は店頭にパンを並べつつ、時折理真の顔をじっと見ていた。理真はというと、少しだけ心拍数が上がったものの、今日の大本命に合わせるパンをどれにしようか、香ばしい匂いをかぎながら考えていた。
「…あの、理真さん。」
「は、はいっ!」
「結構疲れてらっしゃるんじゃないですか?」
「えっ…あ、もしかしてクマがひどいですか?」
「ひどい…っていうわけじゃないですけど、なんか痩せたような…?」
「痩せては…ない…?いや、体重計に乗ってないので正確なものはわからないですけど、ちゃんと食べてますよ。給食、もりもり食べてます。」
理真はなるべく笑顔でそう答えた。そしてあまりまじまじと目を見て話すと色々なボロに気付かれてしまう気がして、岡田の視線から逃げるように違う商品を探して距離を取った。
選び終わって、トレイを持ってレジに向かう。ピッとレジを打つ岡田に、理真はいよいよ今日の目的を告げることにする。
「おいもシェイクを1つ、お願いします。」
「結構キンキンに冷えてますけど…大丈夫ですか?」
「はい。今日は絶対においもシェイクを飲むって決めてたんです。もっと前からおいもシェイクが始まってたの知ってたんですけど、私が帰ってくる頃には売り切れで…。朝は起きれずって感じだったので大きい仕事が片付いた今日、満を持してです!」
「…そうでしたか。満を持して、待望のシェイク1点ですね。少々お待ちください。」
「はい。」
岡田が用意している間に、理真は支払いの準備を済ませる。岡田は振り返り、シェイクをトレイの上に乗せた。コースターがいつものものと違って、オレンジをベースにしたハロウィン仕様のものになっていた。ちょっとした変化に気付くと、少し嬉しくなる。理真の口元はわずかに緩んだ。
「ごゆっくりお召し上がりください。」
「はい、ありがとうございます。」
理真はいつもの席に座ると、両手を合わせた。まずは何といってもおいもシェイクだ。くるくるとストローでかき回し、手の熱で少しだけ温める。少し吸いにくいが、なんとか吸い上げたシェイクの甘さがほんのりと口の中に広がる。
「…美味しい…!」
甘すぎず、さつまいも本来の甘さが感じられる、優しい味だった。9月とはいえど、まだ夏の暑さは完全に引っ込んでいない。この冷たさのものを飲んでも寒い、ということはなかった。
(…期間中にあと1回…いや、あと2回は飲んでおきたい…。)
* * *
パンを店頭に並べながら、シェイクが硬いのか、なかなか吸えずにストローを加えて奮闘している理真を盗み見る。仕事の話をするときとは全く違う表情に自然と頬が緩んでしまう。
(…可愛いね、本当に。)
『可愛い人』だと思う。それこそ、多分顔や纏う雰囲気だけでも充分、好みだったのだと今なら思う。だが、会話をして、自分の瞳に彼女を映して、彼女に映してもらって過ごすと、ふと朝にドアが開く音がすると一つの期待をもって顔を上げてしまう。たとえ、どんな作業をしていても。
直接可愛いと言ったことはない。それは出過ぎた真似だとわかっている。おそらく、下の名前を呼んでいるのだって行き過ぎている。つい零れてしまって、嫌だと言われなかったから続けられているだけのこと。
(…まずいよなぁ。今日の『おいもシェイク』って言い方がもう可愛いし、ただの注文なのに注文自体が可愛いって…何事?)
期間限定メニューであるため、それなりの注文数が出ている。何度も、様々な客の『おいもシェイク』という言葉を聞いている。しかし、一度だって『注文を可愛い』なんて思ったことはない。だからこの感情は理真限定で発生しているということはもう目を逸らせない事実だ。
(しかも理真さんに会えたのが久しぶりすぎて、すっごい見ちゃう。…店長にばれたら叱られるかも。)
手は止めていないが、目は止まっている。おいもシェイクに夢中な彼女の一挙一動を追いかけては、言えない『可愛い』の気持ちが膨れ上がっていく。
(…いつか、言えるようになるのかな?)
年上の女性に向かって可愛いなんて、どういう流れなら自然になるのか、社会人を好きになったことがないからわからない。でもいつか、『理真さん』と呼んでしまった時のように『可愛いですね』と言ってしまう気がする。
そんな気持ちを知らない彼女は、お気に入りのクロワッサンを頬張っていた。
(…またシェイクに戻ってる。…今度は結構、飲めてるかも。)
朝の彼女は長居をしない。食べる姿を見ていられるのもあと少しだ。終わりそうなタイミングでトレイを受け取るために客席の方に行こうと心に決めて、作業をしつつも目だけは時折、彼女に向けた。
しかし明日の朝は違う。絶対に行くと決めている。何度もトライしては本日分販売終了の文字にがっくりと肩を落としている『おいもシェイク』を朝一で飲む。大きな仕事は木曜日である今日終わらせている。明日の朝、ちょっと優雅に過ごして週の最後の金曜日を気持ちよく終えたい。そのためには『おいもシェイク』を飲みたい。
(…寝坊しない、アラームはかけた。念のため10分おきに追加っと。)
スマートフォンを枕元に伏せて、理真は静かに目を閉じた。
* * *
「あっ、おはようございます!」
「おっ…おはようございます…。」
岡田の元気いっぱいの挨拶に一歩出遅れるような形で挨拶をしてしまった。久しぶりに浴びる岡田の笑顔は眩しかった。一体いつから顔を合わせていなかったのか覚えていない程度には朝、来ることができていなかった気がする。
本当に朝一番で来てしまったため、まだ他には客はいなかった。岡田は店頭にパンを並べつつ、時折理真の顔をじっと見ていた。理真はというと、少しだけ心拍数が上がったものの、今日の大本命に合わせるパンをどれにしようか、香ばしい匂いをかぎながら考えていた。
「…あの、理真さん。」
「は、はいっ!」
「結構疲れてらっしゃるんじゃないですか?」
「えっ…あ、もしかしてクマがひどいですか?」
「ひどい…っていうわけじゃないですけど、なんか痩せたような…?」
「痩せては…ない…?いや、体重計に乗ってないので正確なものはわからないですけど、ちゃんと食べてますよ。給食、もりもり食べてます。」
理真はなるべく笑顔でそう答えた。そしてあまりまじまじと目を見て話すと色々なボロに気付かれてしまう気がして、岡田の視線から逃げるように違う商品を探して距離を取った。
選び終わって、トレイを持ってレジに向かう。ピッとレジを打つ岡田に、理真はいよいよ今日の目的を告げることにする。
「おいもシェイクを1つ、お願いします。」
「結構キンキンに冷えてますけど…大丈夫ですか?」
「はい。今日は絶対においもシェイクを飲むって決めてたんです。もっと前からおいもシェイクが始まってたの知ってたんですけど、私が帰ってくる頃には売り切れで…。朝は起きれずって感じだったので大きい仕事が片付いた今日、満を持してです!」
「…そうでしたか。満を持して、待望のシェイク1点ですね。少々お待ちください。」
「はい。」
岡田が用意している間に、理真は支払いの準備を済ませる。岡田は振り返り、シェイクをトレイの上に乗せた。コースターがいつものものと違って、オレンジをベースにしたハロウィン仕様のものになっていた。ちょっとした変化に気付くと、少し嬉しくなる。理真の口元はわずかに緩んだ。
「ごゆっくりお召し上がりください。」
「はい、ありがとうございます。」
理真はいつもの席に座ると、両手を合わせた。まずは何といってもおいもシェイクだ。くるくるとストローでかき回し、手の熱で少しだけ温める。少し吸いにくいが、なんとか吸い上げたシェイクの甘さがほんのりと口の中に広がる。
「…美味しい…!」
甘すぎず、さつまいも本来の甘さが感じられる、優しい味だった。9月とはいえど、まだ夏の暑さは完全に引っ込んでいない。この冷たさのものを飲んでも寒い、ということはなかった。
(…期間中にあと1回…いや、あと2回は飲んでおきたい…。)
* * *
パンを店頭に並べながら、シェイクが硬いのか、なかなか吸えずにストローを加えて奮闘している理真を盗み見る。仕事の話をするときとは全く違う表情に自然と頬が緩んでしまう。
(…可愛いね、本当に。)
『可愛い人』だと思う。それこそ、多分顔や纏う雰囲気だけでも充分、好みだったのだと今なら思う。だが、会話をして、自分の瞳に彼女を映して、彼女に映してもらって過ごすと、ふと朝にドアが開く音がすると一つの期待をもって顔を上げてしまう。たとえ、どんな作業をしていても。
直接可愛いと言ったことはない。それは出過ぎた真似だとわかっている。おそらく、下の名前を呼んでいるのだって行き過ぎている。つい零れてしまって、嫌だと言われなかったから続けられているだけのこと。
(…まずいよなぁ。今日の『おいもシェイク』って言い方がもう可愛いし、ただの注文なのに注文自体が可愛いって…何事?)
期間限定メニューであるため、それなりの注文数が出ている。何度も、様々な客の『おいもシェイク』という言葉を聞いている。しかし、一度だって『注文を可愛い』なんて思ったことはない。だからこの感情は理真限定で発生しているということはもう目を逸らせない事実だ。
(しかも理真さんに会えたのが久しぶりすぎて、すっごい見ちゃう。…店長にばれたら叱られるかも。)
手は止めていないが、目は止まっている。おいもシェイクに夢中な彼女の一挙一動を追いかけては、言えない『可愛い』の気持ちが膨れ上がっていく。
(…いつか、言えるようになるのかな?)
年上の女性に向かって可愛いなんて、どういう流れなら自然になるのか、社会人を好きになったことがないからわからない。でもいつか、『理真さん』と呼んでしまった時のように『可愛いですね』と言ってしまう気がする。
そんな気持ちを知らない彼女は、お気に入りのクロワッサンを頬張っていた。
(…またシェイクに戻ってる。…今度は結構、飲めてるかも。)
朝の彼女は長居をしない。食べる姿を見ていられるのもあと少しだ。終わりそうなタイミングでトレイを受け取るために客席の方に行こうと心に決めて、作業をしつつも目だけは時折、彼女に向けた。