幻想
「だろうね。列車のトイレというのはお世辞にも綺麗とは言い難い。あらゆる異分子が舞い、ドアノブにも付着する。綺麗なようで綺麗ではない。そして、梨花ちゃんは思い込んだ。人体というのは不思議でね。思い込むと、分泌されるんだ」
「たしかに、悪い方、悪い方に考えてかもしれません」
 梨花は言った。
「もう一度、検査してみるといい。結果は違ってくる」
「ねえ、なんで恭一がそんなこと詳しいの?」
 どうやら男は、恭一、という名らしい。
「鈴音、細かいことは気にするものではないよ」
 どうやら女は、鈴音、という名らしい。
 ことが梨花にはわかった。
「会話は重かったわ」
 鈴音は言った。 
 しかし、誰も何も言わなかった。話はそこで終わりになり、恭一と鈴音は互いが、互いを見つめ合っていた。梨花はその光景を壊さないように忍び足で四号車に戻った。
 その時、アナウンスが聞こえた。

  
   三号車

『まもなく、赤城、赤城、終わりが始まり、赤城、赤城』
 ユーモア溢れる車内アナウンスが流れ、先ほどまでいた制服の少女の姿はなく、鈴音は恭一と見つめ合っていた。なぜ、見つめ合っているのかはわからない。なんとなく磁石のように見つめ合っている。そのことが鈴音は不思議でならない。
 不思議。
 これは不思議ではない。
 恭一も言っていたではないか、終わりにしないといけない、と。
「赤城よ」
 鈴音は恭一の唇が触れ合う距離に近づいた。
「知ってる」
 微風を思わせる吐息が鈴音の頬を通過した。
「サヨナラな気がするのは気のせい?」 
「気のせいではない。鈴音が俺と出会ったのには意味がある。その意味を君はこれから見つけていかなければならない。その答えは、今すぐにわかるかもしれないし、遠い未来に待っているかもしれない。少なからず、俺という存在は君にとってなんらかの意味を見いだしたはずだ」
「シャーマンみたいに」
「媒介。という位置づけでいえば、そうかもしれない」
 列車は停車した。
 鈴音は自ら恭一の唇に触れた。その唇は冷たかった。しかし、彼女の唇の温もりが、ほのかに恭一の唇に熱を宿しているように思えた。
 人は思い込みの中で生きている。
 鈴音は目を閉じた。そして、開いた。
 隣にいた恭一の存在は消えていた。鈴音は自分の唇に触れた。湿っていた。
 

  四号車
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