幻想
 こんなときでもマナは風紀委員の親の娘としての体裁を繕った。でも、好都合。梨花は嘘の涙を無駄遣いし、口角を上げる。
「痛いよ、痛いよ」
 より演出を効果的に見せるために、地べたに座り込み、頬に手をあて、足をばたつかせる。
 ほら。
 学内の長、園長先生のご登場。魔女のように長い髪は毛先にいくほどにウェーブがかっている。特出すべき点は、おにぎりのような顔。不釣り合いな小振りな耳。血液のように真っ赤な口紅は少し唇の枠内から外れている。漆黒のドレスは、週五日変わらない。洗濯してるかもしれないし、してないかもしれない。同じドレスを何着も用意しているのかもしれない。むしろ肌との同化。あらゆる思考が梨花を席巻する中、園長が口を開いた。
「これはどういうことですか」
「すみません」
 そう言っておけば、大概の事は処理される。
 が、「すみません。ではすまされません。もう一度訊きます。どういうことですか?」園長は引かなかった。全身全霊でこの場に臨んでいる。その証拠にドレスの裾を持っている。それは競走馬の手綱のようでもあった。鞭があり、お尻を叩けば園長は走り出すかもしれない。
「セックスの話しで揉めたんです」
 この先生は頭がよろしくない、と梨花は思った。単刀直入すぎる。
「セックス?」
 遥か昔のような、さらには太古から受け継がれる呪術のような、または中世の黒魔術で用いられるマントラのような、不思議な文言を聞いたような表情を園長は見せた。
「先生がいけないんです」
 マナが涙目でいった。この女も策士であり演技者だ。自分の身を護る術を知っている。お互い、大人になったら怖い存在になり、絶対に遭遇したくない相手と梨花は位置づける。同じ匂いのする同性は、同調するようでいて、そりが合わない。梨花はそう思っているし、家にある『男と女のトリセツ』という本にもしっかりと記載されていたのを思い出す。
 それから園長はマナから事情を仔細に聞いていた。時折、梨花の方をチラ見し、先生を睨みつけ、その場は暮れということもあり、解散になった。だが、ここで問題が、今日の罰であろうか。今となってはわからない。母親は梨花のことを迎えに来ることはなかった。そして、その日を境に母親は消えた。梨花は孤児になった。 
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