ラストバージン
「そんな顔しないで」

「うん……」


必死に笑みを繕った事はバレバレだっただろうけれど、榛名さんはそんな私に柔らかく微笑んだ。


「再来週の土曜日、楽しみにしてる。八月に入るし、季節的に水族館はちょうどいいと思うんだ」

「そうだね」

「あ、『やっぱり行かない』っていうのは、受け付けないから」


少しの強引さを見せた榛名さんに、私は困惑を隠して苦笑を零す。


「うん、そんな事言わないよ」


そんな表情のままでも小さく頷けば、彼が穏やかに瞳を緩めた。


「良かった」


再び歩き出した私達はどちらも無言で、いつもは気まずさなんて感じないはずの沈黙がとても重苦しかった。
ただ、そう思っているのは私だけなのかもしれないと感じたのは、マンションの前で立ち止まった榛名さんは至って普通に笑っていたから。


「じゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」


私も笑って見せたけれど、やっぱりぎこちなかったと思う。


榛名さんは何も言わずに再び歩き出してしまったから、本当のところはどうだったのかわからなかったけれど……。

「ひどい顔してる……」

部屋に入って鏡を見れば、その言葉通りの表情になっている自分が映っていた。

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