ラストバージン
「あぁ、しまった」


ブレンドを飲み干してそろそろ帰ろうかと考えていた時、今までのんびりと新しい豆を挽いていたマスターが立ち上がった。


「どうかされましたか?」


不意の出来事に驚きながらも、慌てた様子の彼を見つめる。
すると、マスターが自嘲気味に微笑んだ。


「どうやら、先程立ち寄ったお店に財布を忘れてしまったようです」

「え? すぐに取りに行かれた方が……」


私も慌ててマスターを促すと、彼は大きく頷いた。


「はい、そうします」

「じゃあ、私はこれで……」

「あぁ、結木さん」


財布を取りに行くマスターと一緒にお店を出ようと立ち上がると、彼が引き止めるような声音で私を呼んだ。


「はい?」

「すみませんが、少しの間留守番をして下さいませんか?」


立ち上がったばかりの私に、申し訳なさそうな笑みが向けられた。


「もしかしたら、楓が予備校の帰りにここへ立ち寄るかもしれないので」


驚いたけれど、マスターからの頼み。


「わかりました。マスターが戻って来られるまで待っています」


日頃からお世話になっているし、特に急いでいる訳じゃない事もあって、快く笑顔で引き受けた。

< 274 / 318 >

この作品をシェア

pagetop