ラストバージン
コーヒーを味わいながらレコードから流れる音楽に耳を傾け、現実から切り離されたようなゆったりとした空間を堪能する。
贅沢な時間はカチカチに固まってしまっていた体をリラックスさせ、どんよりとしていた心をそっと癒してくれた。


「お疲れのようですね」


「サービスです」と出してくれた薔薇があしらわれた小皿には、正方形のチョコレートが二つ。
笑顔でお礼を告げ、伏し目がちに苦笑を零した。


「……私、ここに来るといつもそう言われていますね」

「結木さんだけじゃありませんよ。現代人は忙しいですから、きっと疲れている人は少なくはないでしょう」

「そうかもしれませんね」


再び苦笑を浮かべ、マスターに微笑みを向けた。


「ここに来ると疲れが取れるし、癒されるんです。でも、しばらくお休みされていたから癒される場所がなくて、ずっと寂しかったんですよ」

「それは、申し訳ありません」


おどけたように笑って見せると、マスターが微苦笑を零した。


「今日はお時間の許す限り、ごゆっくりなさって下さい」

「はい」


こんな他愛のない会話にホッとして、一杯目のコーヒーはあっという間になくなってしまい、もう一度ブレンドを注文した。

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