雨の日は、先生と

先生の過去

扉を押すと、あの日と同じようにベルが鳴った。


「いらっしゃいませ。」


迎えてくれたオーナーは、一瞬あれっ、という顔をした。


「予約、してないのですが……、いいですか?」


「大丈夫ですよ。今日はご予約のお客様はいらっしゃいませんから。」


オーナーは、にっこりと笑って言った。
私のイメージでは、オーナーは信念を曲げない強い人だから、少し緊張していたんだ。
その笑顔で、緊張が大分ほぐれた。


「お席は、どちらになさいますか?」


「カウンターで。」


「かしこまりました。」


しばらくすると、オーナーがコップに入った水を持ってきてくれる。


「ご注文がお決まりでしたらどうぞ。」


「あ、えと……」


やっぱり、何か頼むべきなのだろうか。
コーヒーだけというのは、物足りない気がする。


「鮭とほうれん草の、クリームスパゲッティ―を。」


「かしこまりました。」


にこっと笑って、オーナーはカウンターに入る。

結局、先生と食べたものを注文してしまう自分は、どうしてこうも弱いのだろう。




「今日はどうしたんですか?」



しばらくして、料理の手を止めずに、オーナーが静かに言った。

やっぱり、気付いていたんだ。

私が、色んなものを抱えてここにきたということを。


敬語で話すその口調が、どことなく先生に似ていて、切なくなった。



「オーナーに、訊きたいことがあって。」


「やっぱり。」



オーナーは料理の手を一瞬止めて、私の目を覗き込んだ。



「陽と何かあった?」


「何かあった、というより……。天野せんせ、いえ、陽さんがいなくなっちゃったんです。」


「え?いなくなったって、どういうこと?学校にはいるんでしょ?」


「いいえ。学校からも。」


「……何も聞いてないよ。これは本当だ。」



真剣な表情になって、オーナーは言った。
私は少しがっかりする。

同時に、親友にさえ話さない、天野先生の覚悟のようなものを感じて、私はうつむいた。



「君に、一言もわけを話さずに?」


「はい。」



黙り込んだオーナー。

だけど、私はがっかりしたままで帰りたくなかった。
どんな小さなことでもいい。
先生のこと、知りたい―――



「聞きたい?」


「え?」


「陽の昔話。」


「聞きたいです!」



思わずカウンターに乗り出すと、オーナーは寂しそうに笑った。



「もちろんすべてじゃない。俺の口から話していいことと、悪いこともあるし。それに、君も知っているだろ?陽はああいう性格だから、どんなに思い悩んでいても、人には決して話さない。」


「ええ。」



本当にそうだと思った。
天野先生は、秘密主義というか。
自分のプライベートは明かそうとしない。
明かすことを、拒んでいるようにさえ見えるのだ。



「どこから話したらいいかな。」



オーナーは懐かしむような目をして、遠くを見つめた。

そんなに前から、ずっと友達でいられる二人が、私にはとても羨ましかった。
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