フラグ


同時に俺の首に、腕を回して俺の唇に唇を重ねた。



俺は、びっくりして目を見開いた。



全身に力が出なくて、しばらくはそのままの状態になった。



佐知子が唇を少し離して「美幸の事は今はいいから…」と言った。


俺「あぁ……でも俺は田中が…」


佐知子「ウチは、それでも隆ちゃんが好きやの」



佐知子は、俺の言葉に被せて言った。


佐知子「舞が帰って来たら恥ずかしいから、涙拭いてあげる」



佐知子が涙を拭いてくれた。



舞が病室に走って戻って来た。


舞「お兄ちゃん!買って来たけど飲めるん?」


佐知子「何日も食べてないから、ちょっとづつやで」


俺「あぁ」


佐知子「舞、隆ちゃんの頭ちょっと上げてあげて」


舞「うん」



佐知子が、コーラをコップに少し移して俺の口に少しずつコーラを飲ませてくれた。



俺は、本当に少しずつコーラを口に含ませた。



それでもやはり、炭酸が胃を刺激する。



俺「ありがとう…」


佐知子「うん」



舞も俺の頭を下げた。



佐知子も舞も、何を言っていいのか分からないようで、しばらく沈黙が続いた。



先に口を開いたのは俺だった。


俺「学校が終わって何日経つん?」


佐知子「3日かな?」


俺「ほんなら3日は何も食ってへんのか?俺…」


舞「今、食べれそう?」


俺「一生食べへんでも良さそう…全然腹減らへん」


佐知子「アホな事言うてんと食べろ」


「失礼します」看護婦が病室に入って来た。


「川上さん、目が覚めたんですね!良かった」

「熱計りますね、これワキに入れて下さいね、体調はどうですか?」


俺「力が出ないくらいかな?」


「食欲はありますか?」


俺「全然ないです」


「脈も計っときましょうね、食欲ないですか、うーん少しでもいいし頑張ってみましょうか」


俺「はい」


「じゃあ、夕飯から出しますけど、残してもいいですから」


俺「はい」


「ではまた夕方に伺います」


俺「はい」


看護婦が出て行った。


佐知子「早く元気になってや」


俺「俺、元気になるんか?」


舞「ならへんそうなん?」


俺「そうやな……」


佐知子「体さえ大丈夫になったら、ウチが元気にするから!」


俺「……」



佐知子は俺に、何をする気なんだろうか?と思ったが、口には出さなかった。



というより、体力が無い時は話すのも辛い。



夕方になり、また看護婦が来て熱と脈を計って帰って行った。



そのすぐ後に、夕食が運ばれて来た。



ベッドを佐知子に上げてもらって、久しぶりのご飯を口にした。



食べ出すと、食欲が出てきて意外に全部食べれた。



それが駄目だったのか、後から吐く事になった。



俺が夕食を食べてる最中、佐知子と舞は売店に行って食べ物と飲み物を買って食べていた。



少し落ち着いた頃


俺「佐知子…」


佐知子「何?どうしたん?」



ずっと話す事もなく、三人暗い雰囲気の中、俺が話しかけたので佐知子も少しびっくりしたようだった。


俺「俺…どこが悪いん?頭がおかしくなったんか?」


佐知子「頭はもともと、あはは………ごめん」

「えーと、急激なストレスで身体が色々おかしくなってるって言ってた」


俺「そうか……」


舞「すぐ良くなるって言うてたで」


俺「良うなるんかな?俺…」


佐知子「そらなるやろ、ちゅうかなってもらわなウチ困るわ」


舞「舞も困る……」


俺「うん…」



俺はこの時、まったく治るとは思っていなかった。



何故なら、ストレスの原因は田中が居なくなった事だからだ。



だが、早く退院はしないと駄目だと思った。



佐知子と舞の献身的な態度に、俺は申し訳なく思ったからだ。


俺「どれくらいで退院出来るんや?」


佐知子「ご飯食べれるようになって、落ち着いたらって言ってたと思う」


俺「思う?先生が言うたんちゃうんか?」


舞「お兄ちゃんが病院に運ばれて一緒にここに来た時……」


佐知子「舞!いらん事言わんでええの!」


俺「何があったんや?」


佐知子「んー……ウチ、気が動転した言うかな?取り乱してかな?みたいな感じで……先生が言うてた事覚えてないねん……」


俺「佐知子…心配かけたな………ごめんな」


佐知子「えっ?珍しいな、隆ちゃんがそんな事言うの」


俺「そら心配させたのは、俺のせいなんやし当たり前やん」


佐知子「でも、隆ちゃんが悪いわけやないんやし、気にしんとき」


舞「はよ元気になって帰ろう、お兄ちゃん」


俺「そうやな…」



佐知子は、俺が悪くないと言ったが、何もかも遅かった俺が悪いと思った。


結局、看護婦さんが来た時に退院はいつ出来るのかを聞いた。



退院は、歩けるくらいに体力が回復して、後は精神的なものだから、俺の判断と母親の判断だと言う事だった。



その日の夜、早く仕事を終わらせて母親が病院に来てくれた。




面会時間も終わりの時間なので、母親とは一言二言話して、佐知子と舞を家に送りに帰って行った。



その日の夜



病院のベッドで一人になると、色々考えこんでしまう。



色々と言っても大半は田中の事なのだが、後は佐知子、舞、母親に面倒をかけた事、そして佐知子の俺への思い。



こんな状態になっているのに、やはり考えてしまう。



とにかく今は、早々に退院するためにあまり考えないようにした。



一人寝れない病院での夜は長かった 。



翌朝、母親が病院に一人でやって来た。


真弓「隆?調子はどう?」


俺「母さん、まあまあかな?」


真弓「そう、今はあんまり考えんとゆっくりしいや」


俺「うん…母さん?」


真弓「何?」


俺「退院したいんやけど、いつ出来るん?」


真弓「もう大丈夫そう?」


俺「うん大丈夫」


真弓「朝、先生が来るみたいやから、それで決まると思うけどほんまに大丈夫?」


俺「昨日の夕食も意外と食べれたし、大丈夫やと思う」


真弓「私がいないから隆には苦労かけるけど」


俺「それは今回は関係ないって、今回のは俺が考え過ぎてなったんやし、母さんは何も悪くないから」


真弓「それやったら、あんまり考えんとゆっくりしい、考えても解決しない事なんかこの世の中いっぱいあるんやから」


俺「そうやな」



病院の朝食が運ばれて来た。



母親がベッドを起こしてくれて俺は、朝食を食べ始めた。


俺「会社はまだええの?」



俺は、病院の朝食を食べながら言った。


真弓「大丈夫、事務所には息子が入院したからって言うてあるから、そんな心配せんでええよ」



朝食が終わって少ししたら、主治医らしき初老の先生が来た。


先生「川上君、調子はどうかな?」


俺「今は、大丈夫です」


先生「うん、精神的なストレスが原因やから、落ち着いたらもう大丈夫でしょう」


俺「先生いつ退院出来ますか?」


先生「今日何もなかったら、明日退院してもいいよ」


真弓「良かったね、隆」


俺「うん」



少し気が楽になった。


先生「川上君、今日一日ゆっくりしてください。それじゃあ」



そう言って先生は病室から出て行った。



それからしばらく母親と話をしたら、母親も会社に行った。



何もする事もないから、やはりあの事を考えてしまう。



あの事を考えると、多少まだ胃に違和感が出てくる。



厄介なものだ、何もする事がないのが問題だった。



売店に行こうにもお金もない、せっかくの春休みなのにとか考えていた。



春休み



田中がもしいたら、きっといつもように俺の家でみんなと遊んでいるか、どこかへ行っていただろう。



あの楽しく充実した毎日が、もうすでに懐かしい思い出になっている。



病室の昼食を食べ終わった頃に、騒がしい奴らがやって来た。


健太「隆!元気かぁ!」


花「遊びに来たったぞ、隆」



救急車で運ばれて来た時に、個室しか空いてなくて、個室に入院していたのが幸いした。



こいつら、というか健太が特にうるさいので大部屋だと、他の入院患者の人に迷惑になる。



俺「健太……花……」


佐知子「ウチが呼んでん」



佐知子と舞も病室に入って来た。


花「隆、ほんで体どうなんや?」


俺「だいぶ良くなったで、今日どうもなかったら明日退院出来そうや」


健太「もう退院か?春休みは病院で遊ぼうと思ってたのに!」


「スパンッ!」
「ドコッ!」


健太が、佐知子に頭を平手打ち、花に腹をボディブローされた。


健太「しゃ…シャレやん……」


花「お前が言うたらシャレに聞こえへん」


佐知子「次、しょーもない事言うたらグーでシバくから!」


舞は小さな声で「出遅れた…」と言った。



舞の言葉に全員笑った。



いつもの雰囲気だ。



そこに田中がいないだけだ。



田中がいないのが、この時の俺には大事件なのだが、田中姉妹の仲間が俺には暖かかった。



健太「父さんにもぶたれた事ないのに!」


花「知るか!?」


佐知子「ちゅうか、うるさい中嶋!ここどこやと思ってんの?」


舞「ほんまや、アホ」


健太「すいません……」



暖かいし、いつもの光景にいつもの仲間といつものやり取り、本当に嬉しかった。



でも心から笑えない俺がいた。


花「隆はとりあえず、ゆっくり休め」


俺「健太がいたら、休む間があらへんわ」


佐知子「それもそうやな」


花「ほんまやな、健太だけ帰らそか?隆」


健太「ちょっと待て待て待て!俺かて一応心配して来たんやからな」


佐知子「そんな風には見えへん」


舞「うん、全然見えへん」


花「遊びに来たとしか見えへんな」


健太「ちょっとだけ遊ぼうとは思ってたけどな」



みんな楽しそうに話している。



そうする事で、俺を元気づけてくれているんだろうという事は痛いほど分かった。



でもなかなか、いつものように会話に入って行けない。



そうして時間が過ぎ、病院の夕食の時間になって健太と花が帰る事になった。


健太「明日退院したら、電話してくれ」


俺「分かった、今日は悪かったな」


花「無理すんなや、隆」


俺「おぅ、ありがとうな」


健太「ほな、俺ら帰るわ」


花「またな」


俺「おぅ、気ぃつけてな」



そう言って健太と花は帰って行った。



病院の夕食を食べ終わって母親が来た。



夜の検診で明日退院する事が決まった。



それを聞いて、母親と佐知子と舞は安心して帰って行った。



次の日の朝、母親が一人で来て退院手続きやら荷物をまとめて、2日間居た病室を出た。



久しぶりの外は眩しかった、少しまだ寒いが心地よい風が吹いて気持ちが良かった。



母親の車に乗り2日ぶりの我が家に帰って来た。



家に着いて母親は「今日は家でゆっくりしときや」と言った。


俺「うん、色々ごめん」


真弓「何言うてんの、誰でもそういう時もあるわ元気出しや」


俺「うん」



そう言って母親は、そのまま会社に行った。



家に入ると、舞がリビングのソファーに座ってテレビを見ていた。



いつもの日常が、少し懐かしい感じがした。



俺がリビングに入ると、舞がソファーから立ち上がり俺の方に走って来て抱きついてきた。


俺「おぉ!」


舞「お兄ちゃん……」


俺「どうしたん?舞」


舞「良かった……」


俺「あぁ、心配かけたな」


舞「救急車で運ばれて病院のベッドで寝てたお兄ちゃん見たら、お父さんの事思い出して………」


俺「ごめんな舞」



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