【完】そろり、そろり、恋、そろり
どの位抱き合ったままでいただろうか。きっと数分だと思うけど、私にはもっと長く感じた。拓斗君は、少し落ち着いたんだろうか、さっきまでのように震えてはいない。


「……え?」


そろそろ声を掛けようかと、口を開いたとき、抱き合っていた身体は急に離されて、今度は腕を強い力でつかまれた。拓斗君は無言のまま、私を引きずるように部屋の奥へと歩き出す。


本当に様子がおかしい彼に何と声を掛ければいいのか分からずに、一度開いた唇は意味のある音を発することなくまた閉ざされた。


どうしていいのか分からずに視線を彷徨わせていると、玄関に置き去りにされたままの彼の荷物が目に付いた。けれど、視界は一変した。


下を向いていたはずなのに今見えるのは、少し目を赤くした苦しそうな顔の拓斗君と、その向こうの見慣れた天井。いつも並んで座るソファへと押し倒されて、組み敷かれていた。


「……拓斗君?」


驚きはしたけれど抵抗はしない。だって絶対に拒絶をしてはいけないと、本能的に感じたから。


「麻里さん……傍にいて……」


私の目をじっと見つめながら、彼は呟いた。私は咄嗟に、彷徨わせていた腕を彼の首へと絡めて引き寄せた。


「もちろんだよ。傍にいるよ」


だから、そんな顔をしないで。何があったのか分からないけれど、いつものように笑って。
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