苦恋症候群
「ごめん。最後に、ひとつだけ」

「……?」



ハンカチを手にしたまま小さく首をかしげた私に、課長が少しだけ笑みを浮かべた。

困ってるような照れているような、そんな、やわらかい微笑み。



「たぶんきみは、信じてなかっただろうけど。俺は森下のこと、ちゃんと、大切だった」

「か、」

「……ちゃんと、大切だったよ」



彼を乗せたエレベーターが、目の前で閉まる。

私は堪えきれず、その場でひざをついた。



「……か、ちょう……課長……っ」



ぼろぼろ、重力に従って落ちた涙が、絨毯にシミを作る。

ハンカチを持った両手をひたいにあてて、きつく、きつく、握りしめた。


あのひとは、情事の最中に私が「すき」と口にする……必ず同じように、「すき」だと返してくれていた。

たとえそれが、どんな種類の「すき」でもよかった。

部下に対して抱く一種の愛情でも、ただの都合のいい女を手元に捕まえておくための、エサのようなものでも。

私にとっては、なんでもよかった。

それくらい、離したくないと、思っていたの。



「っふ、うぅ……っ、」



みっともなく泣きじゃくる私を、窓から覗く月だけが見ている。


ありがとう。ごめんなさい。

……だいすき、でした。
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