氷の卵
「さあ、着いたよ。」

「ここ……。」


そこは草原だった。

見渡す限りの草原。

北海道にでも行かなくてはなかなか見られないような、広大な草原がそこにあった。


「すごい……」

「君なら気に入ってくれるかもしれないと、思ったんだ。」

「すごい……啓、行こう!」


今度は私が啓の手を強引に引いて、草原の中に飛び込んだ。


「これはキキョウ、これはオミナエシ、ゲンノショウコ、シモツケ!」

「すごい!雛ここの花も分かるんだ!」

「分かる!結構分かるよ!私はお花が大好きなの。」

「そんなに好きか。」


啓は、笑いを含んだ声で言った。
私は、その響きに何故かきゅんとして―――


「私ね、お花の名前を覚えることに夢中になることでしか、忘れられなかったんだ。」

「え?」

「忘れられなかったの。」


気付くと視界が歪んで見えた。

ああ、どうして。

今泣いたら、啓に心配かけるって分かってるのに。


「雛……。」

「ごめん。なんでもない。」

「雛、訊かないよ。訊かないけど。……なにかつらいことがあったみたいだね。」

「訊かないの?」

「雛も訊かないでいてくれたから。」

「そっか。」


私は草原に仰向けに寝転んだ。
そうすれば、涙が止まると思ったから。


すると啓も、私のとなりであおむけになった。
深呼吸して、気持ちよさそうに目を閉じる。
私もそれを真似してみたら、熱い涙がすっと引いて行った。


「ねえ、雛。」

「ん?」

「僕たち、似た者同士かもしれないね。」

「……そうかな。」

「え?」

「だって、啓はかっこよくて、優しくて大人で、上品で、私にないものたくさん持ってる。私とは、別世界の人だよ。」


それを聞いた啓は、心なしか寂しそうな顔で笑った。


「僕は、君の思っているような完璧な人間じゃない。欠点だらけで、冷たいところもあるし、一人の時はぐうたらしてる。君のように勉強家じゃないし、これだけは誰よりも秀でているって、他人に誇れるようなことは、何一つない。」

「そんなことないよ。」

「いや。僕にとっては君の方がずっと、真っ直ぐで素直でまぶしい。」

「啓だって、啓はまぶしいよ。たまに、そのまま消えちゃうんじゃないかと、私の前からいなくなってしまうんじゃないかと思うくらい。まぶしい。」

「いなくならないよ。僕はずっと。」

「ねえ、啓……」

「ん?」

「……空、綺麗だね。」

「そうだな。」


結局一番尋ねたいことは、尋ねられないままだった。
私の涙の訳を、訊かないでいてくれたから尚更。


隣で目を閉じている、まっしろなシャツの啓をそっと見つめる。
気持ちよさそうに、少しだけ上がった口角。
太陽が当たって、少し茶色っぽく見える黒髪。

当たり前だけど、それらすべてが啓で……。


もう私は誤魔化すことができなかった。

この気持ちは、恋だ。

もう二度と恋をしないと心に決めたのに。

それなのに、私は啓を好きになってしまった。


苦しい恋だと、分かっているくせに――
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