氷の卵
「おはよう、雛!」


次の朝、何事もなかったかのように啓がやってきた。
それはそうだ。
啓は私が見ていたことに気付いていない。
それに、私たちはただの友達なのだから、啓が私に対して後ろめたいと感じるようなことは何もないのだ。


「お、おはよ……う。」

「雛?」


啓は鋭い。
私の変な態度に、すぐに気付いてしまう。


「雛、どうかした?」

「う、ううん。ちょっと今日、体調が悪くて。……ごめん、今日お店休みにするね。」

「え?大丈夫?」


本気で心配してくれる啓に、申し訳ないと心から思った。

すぐに啓に背を向けて、店の奥に引き返す。
もうこれ以上、啓の顔を見ていられなかった。


「雛……ちゃんと寝てるんだよ。今日は働いちゃだめだからね!」


啓の声が追いかけてくる。
何故だろう。
大好きなはずの啓の声なのに、耳をふさぎたくなった。

最初から分かっていた。

啓は香織さんのことが好きだと。

花束を自分で渡さなかった啓の、声が震えていたあの夜。
私はあのときすでに、こうなることが分かっていたのに。


でも、私は香織さんに嫉妬することさえもできない。
私は香織さんが好きだし、消えてしまいそうな彼女をつなぎとめておけるのは、啓しかいないと知っていた。


でも、でも……。


一度でいいから。
冗談めかしてでもいいから。

「好き。」

と、そのたった二文字を、啓に伝えたかった。


その離れていく後ろ姿に、大声で。


「啓……。」


つぶやくと、自分が啓を想うことは、とてつもなく悪いことのような気がした。


二人に申し訳ないと、心から思った。
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