負け犬も歩けば愛をつかむ。
表示された名前は……椎名さん。

その名前を見るだけで、胸がドキンと鳴る。


きっと心配して掛けてくれたんだろう。

さっきあんな別れ方をしたばかりで気まずいけれど、出なかったらさらに心配させるだけだ。

私は軽く深呼吸をして、スマホを耳にあてた。



「……はい、春井です」

『無事に着いたか?』

「はい。心配掛けて本当にすみませんでした」

『いや……俺もきつい言い方して悪かった。君があまりにも無理してるように見えたから、つい』

「椎名さんは何も悪くないですよ」



むしろ、そんなふうに私を気に掛けてくれることが嬉しい。

冷静になってそう思うと、彼の言動は厳しさの中に思いやりが溢れていた気がして、胸がきゅうっと締め付けられた。



『何か食べられる?』

「うん、大丈夫です」

『ちゃんと薬飲んだらすぐ寝るんだぞ』

「……ふふ。なんかお父さんみたい」

『あ、また子供扱いしてたか』



私がクスクスと笑うと、彼も柔らかな笑い声を漏らし、小さな幸福感が耳をくすぐった。

よかった……普通に話せる。

そう安堵したのもつかの間、椎名さんはこんなことを口にする。



『明日早く来ようなんて思うなよ? 定時に来ても間に合うはずだから、しっかり休むこと。いいね?』



……いやいやいや! 早く行かなきゃ請求書が!

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