負け犬も歩けば愛をつかむ。
「や、本当にやらなきゃいけないことがあるんで早く行きます! たぶん一晩寝れば良くなると思うし」

『ダメ。これは上司命令です』



えぇ~!? なんかやけに強引じゃありませんか!?



「ちょっ、椎名さ──」

『じゃあまた明日。おやすみ……千鶴』



一方的に締め括られたものの、最後に囁かれた名前がとびきり甘く感じて、思わず声を失う。

そういえば、さっきからずっと名前で呼ばれてたっけ。どうしてかはわからないけど、嬉しい……

……って、そうじゃなくて!



「早く来るなって言われても無理よ……」



ソファーにスマホを投げ出して呟く。

いくら椎名さんの命令でも従っていられない。絶対やらなきゃいけないんだから。

なんとしてでも間に合わせなければ、というわずかな闘志と焦燥感が、私の胸に再び湧いてきていた。


とりあえず早く薬を飲んで寝るために、プリンを口に運ぶ。

程良い甘さが喉を通るたび、私の脳みそまで甘くなっていくような気がした。

きつく抱きしめられた腕の感覚と私の名前を呼ぶ声が、今になって鮮明に蘇ってくるから。


椎名さんがいくら優しいからって、ただの部下をあんなふうに抱きしめたり、切なげな表情を見せたりするものだろうかと、考えずにはいられない。

もしかしたら、私は特別な存在になりつつあるのかな……なんて。



「勘違いしちゃうよ……」



都合のいい妄想をしていると、急激に瞼が重くなる。

今だけは仕事のことを忘れ、大好きな彼のことで頭を一杯にして、吸い込まれるように眠りについた。




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