負け犬も歩けば愛をつかむ。
「んーじゃあ、ちょっとだけ抜けるけどお願いします」

「おう。任せろ」



頼もしいこと言ってくれるじゃないの涼太くん。

……って、ニヤリと妖しい笑みを浮かべなければ名前で呼んであげてたのに。


厨房から出ると一気に静かになり、再び訪れた椎名さんと二人きりの空間に変な緊張感が押し寄せる。

でもとりあえず仕事、仕事!



「監査の書類、一応三ヶ月分まとめておいたんで」

「ん、ありがとう」



休憩室に入り、何種類かある分厚いファイルのうちの一つを、パラパラと捲りながら椎名さんが口を開く。



「春井さん」

「はい」

「欲しいものとか、してほしいこととか、何かある?」



突然仕事とはまったく関係なさそうなことを聞かれ、ぽかんとする私。

そんなことを聞く彼の意図が何なのか、思い当たるのはあの日の『また今度改めてお礼させて』という言葉くらいだ。



「あ、もしこの間のお礼とかだったら、本当に気にしないでくださいね?」

「いや。ただ俺が君に何かしてあげたいだけだよ」



書類から目線を上げ、優しく微笑む椎名さんにトクンと胸が波打つ。

そんなふうに言われたら断れないじゃない……断りたくもないけれど。



「何かあれば遠慮なく言って」

「……はい」



結局頷いた私は顔がニヤけるのがわかって、慌てて唇を結んだ。

でも、彼が私のことを意識している様子はないし、やっぱりあのキス未遂のことは覚えていないのかな……?

それでいいような、ちょっと切ないような。

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