士農工商犬猫ドンバ
そんなこんなで、広島の3カ月もあっという間に
終わっちゃったんであります。

エピソードは、ほかにも色々と山ほどありました。

マーちゃんや秀ちゃん達と原爆ドームや錦帯橋に行った時、
挑発してないのに長髪ってだけで職務質問されたり、
 
百m道路のサテンで、チンピラと喧嘩して百m以上
全速で走って逃げ切ったり、風呂屋で俺の大事な黒の
ハッシュパピーを盗まれて番台で大暴れしたり。

楽日には、ハムカツの旨い定食屋や万引きだらけの
レコード屋に別れを惜しみ、
ベビードールのナオンにバイバイし、
一挙に増えたレコードや私服や楽器を、ジャーマネの
バンに積み込み、身ひとつ、列車で横浜に帰った。

 
そんで、ジャーマネが借りたアパートに3人で転がり込み、 
またハコバンのドンバライフが始まった。

ニューオリンズは3人になり、外道としてデビュー。
さすが、俺等とは気合も根性も違ってました。

俺等は8月からザキのムゲンに入りました。

タイバンはあんちゃん5人のピンバン。
これが気の毒に、悪くどいジャーマネにひっかかっちゃって、
ユニフォーム着てないとか、リクエストを演らなかったとか
難癖をつけられ、ギャラを値切られてました。
 
東神奈川の奴らの寮に遊びに行ったら、洗面器に鯖缶と
ソーセイジとパンの耳を入れて、ごちゃ混ぜにして、 
パンツ一丁で5人がむさぼる様に手で食ってた。
 
呼び屋もジャーマネも入ってガッポリピンハネされてたんだ。

そんなピンバンでしたが腕は良かった。

ズージャからR&B、ポップス、ラテン、グループサウンズ、
あげくのはてには歌謡曲、全部で500曲はメモッてました。 


そこのセーミには、ジンガイダンサーが何人もいました。

ピンちゃんでイキいいのが3人ほどおりました。 
勿論ダンスなんかは踊れません。
愛想振りまいて腰振って、ウインクして席に着いたらプーチ
おねだり勝負。
へへ、これがまたいいナオンで・・お世話になりました。
 
タガログ語も覚えたりして、これがあなた、まさか30年後に
役に立つとは夢にも思わず、パロパロしてましたです。はい。


それから、9月には広島から例のナオンが追っかけて来ました。
カバンひとつで俺等のアパートに転がりこんできました。
 
ネカは持ってるし、俺等には酒とバラの日々でしたが・・・。
姐さんは、しばらくは大人しく横浜観光や中華街などで豪遊して
ましたが、やっぱり広島の姐さん。血が騒いじゃったんです。

ザキのヤー様とひと悶着やっちまって、警察沙汰。
ガラ受けにイズミの親までだしたり、結局、1カ月で帰って
ホットしたわ。
 
話はちょいとさかのぼり、俺等は18か19。

体も脳味噌も、1年中が真夏の種馬状態。
いつ寝てるんだかわからない、なんでもありの恐いもんなし。

気持ちいい事はなんでもやる。
やめられない止まらない、エビセン体質。 

突き抜けまくって青天井。 さてはタマキン玉簾。
疾風のように現れて、疾風のように去って行く。

士農工商犬猫ドンバ。毎日がムーチョムーチョだった。

その頃世間じゃ、ベトナム戦争は終わるどころかひどくなり、 
全学連は、解散どころか世界の赤軍になっちゃって。

69年春、入学式の日もろくに決まらねえ。
そりゃそうだ、机何段も積み上げてロックアウトしてやがる。

正門横のドアから申し訳なさそに入れてもらい、初めての
キャンパスだってえのに、そこらじゅう立て看とヘルメット、
それにやかましいアジ。

おまけに、すべての授業は中止ですとは一体なんなんだ。
ヴぁっきゃろーめ。

浅間の山荘じゃ、人殺しの生中継までしちまった。前代未聞。


髪の毛伸ばせば誰でもヒッピーと呼ばれ、
ヤオンのコンサートで狂ったように頭をグルグル回し、
花柄シャツ着てジーパン風呂でタワシでゴシゴシ洗って、

西にジャンボリーがあれば行って手を叩き、
東に集会があれば弾けないギター抱えてインターを唄い、

春には地下のジャズ喫茶で頭を抱えて座り、 
夏は市営プールで掃除のバイト、 
秋には深夜映画3本立、冬は暖ったかい印刷屋で稼ぎ、 

歯が痛いといいながらポンタールをかじり、
銭湯では立膝で長髪を洗う。

1日1回は即席ラーメンを食い、月に1度はパーマかけ、
喧嘩は負けても箔がつき、JUNだVANだはもう古い、
軟派だ硬派だコンポラだ、コンポは絶対重低音。

俺は天下のヤングマン、自分こそかっこいいと思い込んでる
ズリセン坊主達め!

そんな野郎に、俺りゃ、なりたくねえんだよバッキヤロー。


そんなある日「俺 ドンバやめるわ」宣言しちゃった。

何の不満もないどころか、楽しくてしょうがなかったが、
俺ロンドンに行くわ、ジョンにもリンゴーにも会う、
リバプールもペニーレインも行く。
俺は行くよ、エッヘッヘ。

イズミもミミも溜息まじりだが、まだ決めただけよ。 
ネカ貯まんなきゃパーよ、これからネカ貯めるんじゃねえか。
 
1年で千ドル貯まったら、行っちゃうよロンドン。
歌舞伎町じゃあねえぞ。

ジョンがスキー場で切符買う、あのLONDONだぜ。



そんなわけで、さっそく資金作りを始めた。

前の年に、為替自由化で1ドルが350円になり、持ち出しは
千ドルまでOKになった。

とにかく貯まったら行くんじゃない、貯めて行くんだと。
かた~く決心しバンドで稼いだ。
  
ええ?なんだ ドンバやめたんじゃねえのか。 そうやめたの。
でも稼げるのは、やっぱりドンバだったのさ。
 

当時、中卒で寿司屋の見習いに入った奴が、月給1万は無い。 
高卒でも3万はいかねえ。
そんで俺、ステージ終わると毎晩、店のレジで2500円の
ギャラもらってたってわけ。 どうよ。
 
毎晩ティッシュの箱に札入れて、あっと言う間に箱に溢れた。
うっひっひ のヒっ だ。

アパートは引き払って実家に戻った。
飯は家で食う、タバコはエコー、電車はキセル、着る物も何も
レコードも買わないで苦節半年。

千ドル35万、貯めたぞ。 どうだこのやろ。

 
さあ、持ってくネカはできた。 問題は運賃だ。
 
荒野を目指す五木コース、これが一番安い。

大桟橋からソ連の船でオランダのユトレヒトまで8万円。
パスポート申請やビザ取り、ソ連大使館行ってチケット、
モスパック旅行社までぜんぶ自分でやって、年末までには
さらに15万貯まった。グヒヒ。


アメ横でリュック買って、正露丸とジーパンに革ジャン用意。

ひょっとしたら、帰って来ねえかもしれねえな。
じゃ売っ払って金にするべえ。全財産を売り払った。

中学ん時に2万で買った、フジの3点セットをドンバ仲間に
「こいつあプレミアつくぞ」で2万円で売った。
4万で買ったラディックスネア、同じ手口で4万円。

大学のメンストでは、朝から晩までレコード、本、ドアーズの
偽サインを売った。
口先三寸「ロンドンへの旅費を貯めてる」泣き落しも効いた。
校内で商売はいかん、教授や職員に何回も怒られ3万売れた。



さあそんなわけで、1972年3月24日、横浜大桟橋。

ミミ、マーちゃん達ドンバ仲間、中学の友達まで見送りに来た。
 
お袋と弟は、日の丸の旗振って、オリンピック選手じゃねえぞ。
 
親父は見送りには来なかったが、前の晩、一杯飲みながら言った。

「まったくいい時代になったなあ。 俺は、お前の歳には、
お国の命令でフィリピンまで行って、命がけで戦ってた。 
お前は幸せだ。ところで死なないで帰ってこれんのか」

はい!ダイジョブです! っひっひ 
ユトレヒトから先は宿も何も決めてない。 どーすんだ へへへ 


お、もうこんな時間だ。

今回10話でお送りいたしました、半実録横浜バンドマン物語
「士農工商犬猫ドンバ」の一席、いかがでしたでしょうか。

お足元の悪い中、景気の悪い中ご静聴ありがとうございました。

ん? 聴いてなかった? 

まいいか。 ここから先が、まだありますよ。
「印毎来譜 俺等はヒッピーだった」に続くの心だぁ。

んじゃあ、どちらさんもごきげんよう。 

さいなら、さいなら、さいなら・・・。


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