小咄
「そ、それが日本酒の怖いところなのよぅ」

 焦りつつ、あきは仕方なく突き出しの小鉢を深成に勧めた。

「ほら。ちょっとでも食べたほうがいいよ」

「そだね。お腹空いちゃった。早く課長、来てくれないかなぁ」

 先のあきと同じことを無邪気に言い、深成はもぐもぐと小鉢に箸を付けた。

「深成ちゃんの上司も真砂課長になるんだっけ? 厳しそうだね」

 六郎が、横で一心不乱に小鉢を頬張る深成に言う。
 特に顔を上げることもなく、深成はこくりと頷いた。

「うん。課長、厳しいかなぁ。あ、でも千代が研修に行っちゃった初めの頃は、かなりしごかれた」

「へぇ?」

「ほら、課長、口悪いからさぁ。こんなことも出来んのかーとかって、怒鳴られたよ」

「ええっ」

 思わず六郎が仰け反った。
 こんな小さい子に向かって怒鳴るとは。

 ここ数日見た限りでは、ただでさえ真砂の纏う空気は冷たい。
 黙っていても怖いだろうに、怒鳴られたりしたら、深成など泣いてしまうのではないだろうか。

「え、じ、じゃあ大変なんだね、あの課長のお世話って」

 この可愛い深成を苛めるような上司なのであれば、せめて己がいる間は守ってやらねば。
 それに、そうすることによって深成との距離も、ぐっと縮まるのではないか。
 そんな計画を立てる六郎だったが、深成は不思議そうな顔をした。

「何で? だってわらわ、ほんとに全然わかってなかったもん」

「で、でも。何も怒鳴ることないじゃないか」

「ま、それは課長の性格だよね。課長だって優しいんだよ」

 後半は、ちょっと照れくさそうに言う。
 あらら、とあきは捨吉の勧める酒を飲みつつ、前に座る深成を見た。

---優しいっても、それは深成ちゃんにだけだっての。でも会社ではそんなこと、わかんないわよ? てことは、やっぱり会社以外で優しくされてるってことじゃない---

 あきのレーダーはいくら酷使しても、そこに情報がある限り、決して錆びることはない。

 一方六郎のほうは、そんな風に上司を庇う深成がいじらしくて堪らない。
 これはやはり己が深成を守らねば! と決意を新たにする。

 机の下で、ぐ、と拳を握りしめる六郎は、ふと肩に重みを感じた。
 視線を滑らすと、深成が寄りかかっている。

---うわっ!---

 小さいため、六郎の肩ではなく二の腕にもたれていたので、六郎が動揺した僅かな動きで、ずる、と簡単に深成の頭はずれてしまう。
 そしてそのまま、こてんと六郎の膝に深成の頭が落ちた。

「……!!」

 膝枕の深成は、日本酒で酔ってしまったらしい。
 むにゃむにゃと口を動かし、そのまま寝そべっている。

「あらあら。もぅ、ほら言ったのに~。深成ちゃん、酔っ払っちゃったじゃない」

 向かい側からあきが、何故か不満げに身を乗り出して深成を覗き込んだ。

---もぅっ! だから言ったのに! 課長が来ないうちに深成ちゃんの意識がなくなったら面白くないんだって!!---

 心の中で思い切り文句を言い、ちら、と六郎を見る。
 そして、僅かに片眉を上げた。

---あら? 六郎さん、顔が赤いわ。……もしかして! 深成ちゃんに膝枕されて動揺してる? 深成ちゃん、可愛いもの。わお、六郎さんってば、いい歳なのにわかりやすいわねぇ。え、だとしたらこの状況、ちょっと面白いんじゃない? 真砂課長はどういう反応をするかしら……---

 あきの目尻がぐっと下がる。
 ちなみに捨吉は、あきにがんがん酒を勧めつつ自分も飲んでいるので、最早周りの状況など目に入らない。

---ああ課長っ!! 早く来て頂戴! 深成ちゃんの操の危機ですよーーっ!!---

 真砂といたほうが操の危機なのだが。
 そんなあきの心の叫びに応えるように、個室の障子が、すらっと開いた。

「お待たせ。おっ? 捨吉はもうご機嫌かよ」

 清五郎が部屋に入るなり、捨吉を見て呆れた声を出した。

「あっ課長~~!! お待ちしてましたぁ~~!! ささ、奥へどうぞ~」

 べろんべろんの捨吉が、ささっと駆け寄って中に促す。

「あ、清五郎課長はこっちにどうぞっ」

 すかさずあきが、自分のほうに清五郎を促す。
 六郎と深成側に真砂をやるためだ。

 目論見通り、清五郎はあきのほうへ。
 千代も、それに続いた。

「真砂課長は、そちらへ」

 あきに促された真砂が、ちらりと六郎を見、次いでその手前に視線を落とす。

---さぁどうする?---

 わくわくと、あきは真砂を、じーーっと見た。
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