小咄
 幸い真砂の眼力でエンジントラブルなどを起こすこともなく、タクシーは西に向かっていた。

「深成ちゃんの家はどの辺り?」

 ずっと後部座席から後ろを見ていた深成に声をかけると、ようやく深成は顔を戻した。
 が、六郎のほうは見ず、きょろきょろと外の景色を見ると、ずい、と運転席に身を寄せた。

「小松町駅」

 運転手に行先を告げる。
 六郎が、慌てて口を挟んだ。

「駅じゃなくて。ちゃんと家まで送るから」

「ん、でも。一応駅に行って貰わないと、そこからしか道がわかんない」

 自分の家なのにわからないのだろうか?
 疑問符を浮かべる六郎だったが、運転手は何てことのないように、ちらりとバックミラー越しに深成を見た。

「それなら、マンション名とか言って貰えば、わかるかもですよ」

「あ……えっと、グランドビューマンション」

「ああ、はいはい。じゃ、そこに行きますね」

 次の角を曲がり、タクシーは南へと向きを変える。
 座席に身体を戻した深成は、しきりに目を擦る。
 眠気を堪えているようだ。

「着いたら起こしてあげるから、寝ててもいいよ」

 言ってみるが、深成はふるふると首を振る。
 ぎゅっと自分の鞄を持ち、隅のほうで小さくなっている。
 何だか身体全体で拒絶されているようだ。

「深成ちゃんて、お酒、弱いんだね。飲み会とか大変なんじゃない? いつもちゃんと帰れてるの?」

 話しかけると、深成はやっと、ちらりと六郎を見た。

「課長がいっつも送ってくれるもん」

 言ってしまえば、送るというよりお持ち帰りなのだが。

「あ、ああ。だから今日も深成ちゃん、やたらと課長を探してたんだね。真砂課長は、深成ちゃんの保護者なんだね」

 今日の飲み会の席での真砂と深成の態度や、最後に清五郎に言われたことなどと合わせ、二人は特別な関係なのか? と思いつつも、六郎はあえて色っぽい関係ではない、ということを強調してみた。
 深成はしばらく外を眺め、ぽつりと呟く。

「……そんなんじゃないもん」

 え、と六郎が固まったとき、丁度タクシーはマンションのエントランスへ。

「ありがとう。じゃあね」

 ドアが開くなり、ぱっと飛び降り、深成が駆けて行く。
 呆然とその後ろ姿を眺め、六郎はゆっくりと、マンションを見上げた。

---ここが、深成ちゃんの家……。凄いな---

 大きく綺麗なマンションは、一派遣社員の給料で住めるところとは思えない。
 が、六郎は、深成は独り暮らしではないのだろう、と考えた。
 家族であれば、おかしいことはない。

 道がわからなかったのも、車を運転しないので、車での道順がわからなかったのだろうし、マンション名を言うとき少し自信なさげだったのも、単にど忘れしただけかもしれない。

---もしかしたら、こんないいマンションに住んでいると私に知れたら、私が遠慮するかも、とか思ったのかもしれないしな---

 うん、と自分の都合のいいように考え、六郎はタクシーを出した。



 一方深成は、ロビーを抜けると、足早にエレベーターに乗った。
 当然のように十階を押し、ドアの前では慣れた手つきで鍵を開ける。

「まだ帰ってないよね。当然か……」

 呟き、リビングに入って、ソファに倒れ込んだ。

「課長……。早く帰って来てくれないかな……」

 まだ残っている酒のせいで、若干目が回る。
 先程まで気を張っていたのが、真砂の家に入った途端にぷつりと切れてしまった。
 襲って来た睡魔に、深成はあっという間に攫われてしまった。



 ドアを開けると、真砂は訝しげな顔で廊下の先を見た。
 リビングに灯りが点いている。
 足元には、小さな靴。

 一つ息を付き、真砂は施錠すると、ネクタイを緩めながらリビングに向かった。
 ソファを覗き込むと、深成がすやすやと眠っている。

 ふ、と真砂の表情が緩んだ。
 上着を脱ぎ、深成の頭の横に座る。

「……ん……」

 深成が小さく呟き、寝がえりをうつ。
 しばらく眺めていたが起きないので、真砂は立ち上がると、よいしょ、と深成を抱き上げた。

「……んん? ……あ」

 ようやく深成が目を開ける。
 が、とろんとした表情のままだ。

 こしこしと目を擦り、ぺとりと真砂に抱き付く。
 寝室に入り、真砂が深成をベッドに降ろそうとしても、深成は真砂に抱き付いたまま離れない。

「こら。ちょっと離せ」

 深成をベッドに寝かせ、首に回されている手を解こうとすると、深成が再び目を開けた。
 確かめるように、じ、と真砂を見る。

「課長。寂しかったよぅ」

「何だよ、何かあったのか」

 もしやうっかり六郎に何かされたのかと、真砂の目が鋭くなる。
 まさか、それでここに逃げてきたのか?

「あいつに何かされたのか?」

 険しい顔で言う真砂に、深成はきょとんとした。

「ううん。いっつも飲み会の帰りは課長と一緒だもん。なのに今日はいきなり知らない人と二人にされたから、わらわ、余計課長に会いたくなっちゃったんだもん」

 自分に都合のいいように考えた六郎の思考など打ち砕くように、深成の中では六郎など『知らない人』扱いだ。

「タクシーの中では絶対寝ないように頑張ってたから、ここに来たら安心して、すぐに寝ちゃった」

「寝なかったのか。俺と一緒のときは、何をやっても絶対起きないぐらい、ぐーすか寝るくせに」

「だって課長だもん。今日いたのは、課長じゃないもん」

 ぷん、と深成が頬を膨らます。
 そして、ふわ、とあくびをすると、本格的に寝に入る。

「おい、そのままでいいのか」

「だって眠い。ほら、課長も」

 きゅ、と真砂の手を掴み、引っ張る。
 しょうがないな、と呟き、真砂は枕元の時計をセットした。

「シャワー浴びてくる。先に寝てろ」

 ちょっと不満そうな顔をした深成だが、最早眠気は限界のようで、すぐに目は閉じられた。
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