小咄
 とはいえ家に帰るのはなかなか緊張する。
 まだ真砂とは話していないのだし、真砂に向かってあんなに怒鳴ったのも初めてだ。

 大嫌いだ、と言ってしまったし、とうじうじ悩みつつも皆に促されて帰ってきたものの、ドアの前でしばらく躊躇っていた。
 すでに日付は変わっている。

 チェーンがかかって、さらに中にハイヒールとかが見えたらどうしよう、と、また思考は沼に沈んでいく。
 震える手で、深成はノブに手をかけた。
 すぐに軽くノブが下りる。

---え……。真砂、鍵かけてない……---

 そろ、とドアを開け、中を窺う。
 静まり返った家の中は暗く、奥のリビングから小さなダウンライトの光だけが漏れていた。

 玄関には真砂の靴しかないのを確かめ、そろ、そろ、と廊下を進む。
 リビングが近付くにつれて、鼓動がどっきんどっきんと高鳴った。

 リビングを覗くと、ソファに真砂が転がっていた。
 コートを着たままで、携帯が床に投げ出されている。
 片腕が顔にかかっているので表情はわからないが、随分疲れているようだ。

「……真砂……」

 小さく呟くと、ぴく、と真砂が反応した。
 ゆっくりと目が開く。

 目が深成を捉えた瞬間、真砂は、がばっと飛び起きた。
 立ち上がったときには、深成の腕を掴んでいる。
 あっという間に、深成は真砂に抱きしめられていた。

「……深成っ……」

 ぎゅうっと苦しいほどの力で深成を抱きしめながら、真砂が呻くように言った。

「ごめん……。ごめんな」

「真砂……」

 深成を抱きしめたまま言う真砂に、少し深成は驚いた。
 真砂が、こんな風に謝罪するとは。
 深成が離れるのを恐れるように、真砂は力を緩めない。

「あきちゃんに聞いた。社長に頼まれたんだって」

 深成が言うと、ぴく、と反応した後、こく、と真砂が頷いた。

「何で言ってくれなかったの?」

「……初めは言おうと思った。でも社長が、内緒にしといたほうがいいんじゃないかって。そう言われたら、確かに変に言ったらお前が不安になるかも、と思って。芝居だ、と言われても、いい気はしないだろ」

 ようやく、そろ、と力を緩め、片手で深成の頬を撫でる。

「自分に置き換えてみればわかる。お前が誰かの恋人役をするのは、芝居でも俺は嫌だ。だから、断れないなら知らないほうがいいだろうと思ったんだ。ただ自分がこんなに隠し事が下手だとは思わなかった」

 いつもより大分弱い真砂に、きゅんとすると同時に、また涙腺が緩む。
 やはり真砂は深成のことを一番に考えてくれていたのだ。

「ごめんね真砂。わらわもわざと片桐さんに靡いてるふりした。わらわも同じことしちゃってる」

 きゅ、と真砂に抱きついて、深成が言う。

「それに、大嫌いって言っちゃった」

「あんなに泣かせて悪かった。ほんとにごめん」

 ぎゅ、と真砂も抱きしめ返してくれる。
 誰に何を言われても、すっきりと気持ちが晴れることはなかったのに、真砂が抱きしめてくれると、あっという間にもやもやは晴れる。

「やっぱりわらわは、真砂が一番好き」

 深成の言葉に、やっと真砂が笑った。
 顔を近付け、キスをする。
 が、ちょっと慌てたように、ぱっと顔を離した。

「真砂?」

 もしやまだ何かあるのかと深成が不安そうに聞くと、真砂は小さく首を振りつつ、着っ放しだったコートに手をかけた。

「いや、昨日から風呂に入ってないから」

 昨日は深成が帰らなかった日だ。
 一晩中気になって、風呂に入るどころではなかったのだろう。

「あ、わらわも今日、軽くシャワー浴びただけだ」

「ていうか、昨日どこに泊まったんだよ」

 少し不満そうに真砂が聞く。
 本当は大いに不満なのだが、自分のせいなのであまり怒れないらしい。

「えっと、あれはどこなんだろう。お店の上だったんだけど、片桐さんのお家って感じじゃなかったな。事務所かも」

 家じゃなくても他の男のところに泊まったのには変わりない。
 真砂の気持ちを敏感に察し、深成はまた、ぴとりと真砂に引っ付いた。

「大丈夫だよ。片桐さんはオネェだから」

「オネェでも女に興味がないとは限らんぜ」

 いつもならもっとあからさまに機嫌が悪くなるところだが、気持ちを押さえつつ、真砂はコートを脱いで風呂を沸かした。

「今からお風呂に入ってると遅くなるねぇ」

 すでに午前一時だ。
 別に日曜日なので、遅く寝ようと構わないが。

「俺は風呂の中で寝そうだ」

 真砂が、ふあ、と欠伸をする。
 昨日は一睡もしていないし、今日もさっき少しうとうとしただけだ。
 それでなくても、ここ最近ろくに寝ていない。

「安心したら、一気に眠気がきた」

「え、じゃあもう寝る?」

「さすがに二日入らんのは気持ち悪い。それにお前に引っ付けないし」

 壁にもたれながら、真砂は服を脱ぐ。
 目はすでに、ほとんど閉じているのだが。

「え、ちょっと大丈夫なの? ほんとに寝ちゃいそうだよ」

「大丈夫じゃないけど、このままじゃお前に引っ付けない」

「さっきまで抱きついてたじゃんっ」

「さっきまでは服着てたから」

 何する気だ。
 赤くなる深成の腕を、真砂が引っ張った。

「一緒に入る」

「ええっ! なな、何でっ」

「寝そうだし」

「で、でもっ」

「それに、風呂に入ってる間にお前がどっか行かないか不安だ」

 う、と脱衣所の外で足を踏ん張っていた深成が真砂を見た。
 普段見せないこの弱さは反則だ。

「わらわ、もうどこにも行かないよっ」

 深成が言っても、真砂は手を離さない。
 じ、と深成を見る。

「う、もぅ。ていうか、やっぱり心配。わかったから、とりあえず真砂、先に入ってて。すぐに入るからっ」

 そう言って、深成も脱衣所に入ると、ようやく真砂は手を離した。
 ふらふらと風呂場に入る。

---ほんとに心配。あんなふらふらな真砂初めてだし。でも……あれってわらわをずっと気にしてくれてた証拠だよね。真砂のほうが、よっぽどわらわを想ってくれてたんだ---

 じぃん、と胸が熱くなると同時に、またも目の奥が熱くなる。
 真砂の気も知らないで、勝手なことをしていた自分は何と愚かだったのか。

---大好きな真砂のために、もっと尽くさないとね---

 決意も新たに風呂場に入った深成は、ぎょっとした。
 湯船に浸かったまま、真砂は寝息を立てている。

「わーっ! 真砂っ! 本気で寝ないでよーっ!」

 慌てて真砂を叩き起こし、甘やかな雰囲気など全くなく、深成は必死で今にも寝そうな真砂を手伝った。
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