平凡な毎日に恋という名の調味料(スパイス)を
2.シれば知るほど
2.シれば知るほど


春になって桜が咲き、あっという間に散ってしまっても、まだ社長は復帰できずにいた。
けれど状態はそう悪くないらしく、夏になる前には会社に顔を出せるようになると聞いて、社員一同で安心する。

わたしは経費が上がると文句を言われても、お砂糖を人工甘味料に替えようと密かに決意している。
健康第一です。会社が潰れて路頭に迷うのは、御免被りたいのです。

ただ、年度の終わりと始めが重なったこともあって、みんなの業務がいままでより二割増しくらいに忙しい日が続いていた。


今日も残業で遅くなってしまった。帰ってから夕飯を作る気力をすっかりなくしたわたしは、いま、橘亭のカウンター席に着いている。

オープンから2ヶ月ほど経つとご近所にも認知されはじめ、ランチ時はママ友の集まりや営業で外回りをしているサラリーマンなどでそこそこの賑わいになるそうだ。

かく言うわたしも、ランチメニューはいまだに未体験だけど、日々の食費を切り詰めて週に2、3回ここで夕食を摂るようになっていた。

「ああ、やっぱりこの味が落ち着きます」

筑前煮に入っていた人参の甘みが広がる頬を両手で挟んで、うっとりと味わう。

「今日の辰樹屋さんのお弁当に入っていたいとこ煮も、やっぱりなにかが違ったんですよね」
「おかしいな? レシピはちゃんと置いてきたはずなんだけど」

前職の仕出し屋さんで煮物などの味付けを担当していたという晃さんが、カウンターの向こうで首をひねる。
すっかり常連になってしまったわたしは、彼らとこんな世間話もできるようになっていた。

「よっぽど晃ちゃんの味が、礼子ちゃんの舌に合うのね」

番茶のおかわりを注いでくれながら、だいぶお腹の目立ってきた希さんがクスクスと笑う。
さすがに動きにも慎重さがでてきたみたい。お客さんが帰ったテーブルから食器を運ぶのも以前より小分けにしていた。

「手伝います」

重なった皿を持って、カウンター越しに晃さんにパスをする。

「ありがとう。でもお客さんにそんなことしてもらっちゃ悪いわ」
「いいんです。いつもおまけしてもらってるし」

閉店時間間近で他にはお客さんもいなくなった店内だけど、手のひらを口に添えて声を潜めた。
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