【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を

扉の前の姫君

 エデンの一件から月日は流れ――。

 アオイがキュリオの娘となってから二年が過ぎようとしていた。
 今日(こんにち)の悠久の日差しも変わらず柔らかく、田畑を実らせた民たちの喜びの声が聞こえてくるようだ。

「――西の大地ではワイン造りがようやく軌道に乗ったらしいのです! なんでも聞きつけた雷の国が贔屓にしてくださっているようで、民たちの生活に潤いがでているとか!」

「そうか。土地が荒れていると聞いて心配していたが、これで西の地が酒造に適した気候であることは証明されたな。しかし、軌道に乗ったとはいえ、しばらくは支援してやるのがいいだろう」

「はっ! キュリオ様の御言葉、有難く届けさせていただきます!! 民たちのやる気も俄然上がるでしょうなぁっ!!」

「…………」

 ふと、扉のほうを見つめた空色の瞳に初老の男が首をかしげる。

「キュリオ様? どうかなさいましたか……?」

 男の声が聞こえなかったかのように、優雅な動作で立ち上がったキュリオ。
 純白の衣が光を受けてサラリと流れ、幾度か繰り返されたそれは重厚な扉の前で動きを止めた。

――ガチャッ

 キュリオの視線はやや下を向いている。まるで、そこに誰がいるかを予想しているかのように。

「お昼寝はもういいのかい?」

 目元を綻ばせたキュリオの視線の先には愛らしい幼子が扉の向こうから姿を現した。
 彼女は幼いながらにも物事の判別がついている様子で、父親が自分の元を離れたときには無暗に近づいてはならないことを学んでいた。

「…………」

 戸惑いがちに頷いた彼女だが、一行にキュリオに近づく気配はない。

「おいで。アオイ」

 キュリオが片手を差し伸べると、小さな両手で指を掴んだアオイの顔が笑顔に変わる。
 小さな手を含め、柔らかな幼子を抱きとめたキュリオは頬を合わせながら彼女を抱き上げる。
 廊下で微笑む侍女らが一礼して下がると、アオイを抱いたキュリオの背が執務室へと消える。  
 
「おや? なんと愛らしい」

 孫娘を見つめる祖父のような眼差しで男が目を細める。

「公言は控えているが、私の娘のアオイだ」

 すっかり父親の顔になっているキュリオは膝の上に幼子を座らせると、淡い桃色のワンピースの裾を丁寧に直している。

「なんと……っ! 道理でお美しくてあられるわけだ!」

「私たちに血の繋がりはない。
しかし、それに何の意味があるのかと思わせるほどに私はこの子が愛しくてたまらない」

 髪の色も目の色も違うふたり。共通点は白い肌くらいのように見えるが、神々しい光を纏うキュリオと柔らかな空気を纏う幼子は、どことなく似た印象を他人に与えた。おそらくそれは、この麗しい王が愛してやまない娘の柔和な心に感化されたからであろうと、城に仕える者ならば誰もが思っている。

「キュリオ様のお顔がお優しくなられた理由はアオイ様ですなっ!」

 王たる者は自身に厳しく、誰かに深く心を許したりはしない。
 ヴァンパイアから虐げられてきた過去をもつ悠久の王はとくに、王に弱点となるものがあってはならないという考えが昔から強く根付いており、長い間一個人へ興味を抱くことはほとんどない。キュリオに至っても例外ではなく、家臣や女官らに向けられる視線や言葉は労いの心からくるものであり、この幼子へ向けるものとはまったくの別物である。

「そうか……。そうかもしれないな。
彼女が私のもとへ来てくれたあの日から心躍る毎日だ。一時でも目を離すのが惜しいくらいにね」

 キュリオの視線が一瞬、男へ戻ってきた。
 しかし、その瞳はすぐに幼子へと向けられ、再び絡み合ったふたりの甘い視線を解く術を男は持ちえない。

「それでは! 邪魔者はそろそろ失礼いたしますぞっ!」

 上機嫌に笑いながら幸せそうな王と姫に別れを告げた男は心があたたかくなっていくのを感じる。

「ふふっ、そう言うな。良い知らせを持ってきてくれたことに感謝している」

 もちろん家臣から報告を受けていないわけがないキュリオだが、数値で見る報告書よりも直接近しい人物から話を聞くほうが現実を知る上では一番最適な方法だと思っている。そこには表情や言葉の抑揚はもちろん、詳しい事情を知る人物だからこその本音がついてくる。報告上問題なしとされたとしても、当事者に不安があればそれを取り除いてやるのも国の役目だ。

 部屋の外まで見送りにでたキュリオに満面の笑みで一礼した初老の男は、律儀にアオイへも挨拶をしてくれた。
 さらに、王に血の繋がらない娘がいるという噂を耳にしたことがない彼はそのことを誰にも話すまいと心に誓う。

(大切な姫様に逢わせてくださったキュリオ様の御心を裏切るわけにはいかんっ!)

 こうして謁見を許され、幼い姫君に逢うことが叶った者たちの共通点はキュリオの信頼に足る者たちだとわかる。女神一族に対する警戒心が弱まることはないが、スカーレットが長になってからというもの、女神一族の悪評をあまり耳にしていない気もする。

「荒れた地や人を正すのは容易ではない。それをひとりで行うスカーレットの苦労が知れるな……」

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